悪魔的な性格の悪さは直せる?→“ドイツの哲学者”の答えが辛辣すぎて身も蓋もない
ここに、ショーペンハウアーの倫理学の特徴があります。彼は、道徳的な行為は本人が自由に選べるものではなく、その人の性格によって制約されている、と考えるのです。 ずいぶん悲観的だと思いましたか。その通り、彼はしばしば、西洋哲学史における悲観主義(ペシミズム)の親玉として紹介されます。どうやったって人間は変わらない――そういう、ちょっと悲しい考え方をした人なのです。 悪意は他者の苦痛を求めることである――それがショーペンハウアーの考えです。ただし彼は、そこにはさまざまな段階が、つまりグラディエーションがあると述べています。 まず、もっともレベルが低いのは、ただ頭の中で想像されるだけの悪意です。「あー、ぎゃふんと言わせてやりたいな」と思う気持ちです。その程度であれば、私もよく思ってしまいます。 たとえば学会で議論をしているとき、すごく意地悪な質問をされたときです。すると、ただ普通に答えるだけではなく、相手が意地悪な質問をしたことを後悔させるくらいに、意地悪な反論を返したくなるのです。 もちろん、そんなことをしてもトラブルになるだけですし、文字通り、自分には何の利益もありませんので、実行には移しません。
ショーペンハウアーは、通常、そうした悪意は理性によって押し留められ、表には出てこないと考えました。ところが、日常のいたるところに潜んでいる、制御の難しい悪意もあります。それが、嫉妬です。 嫉妬は、自分にないもの、自分より優れたものを持っている人を、羨む気持ちです。もっとも、ただ羨ましいと思っているだけなら、それは何も問題ではありません。 ● 制御が難しい悪意の正体は 「嫉妬」だった 嫉妬する人は、羨ましいと思う人と自分を比較し、自分が何かに欠けていたり、相手よりも劣っていたりすることは、不公正であると考えます。 だから、相手が自分よりも優れていることが許せず、相手をちょっとでも引きずり下ろしたい、ちょっとでも嫌な思いをさせたい、と思うのです。 たとえば、「私」が人から好かれない性格だとしましょう。それに対して、目の前に、いつも周りから人気の人がいるとします。このとき「私」は、その人気者が、自分に欠けているものを不当に占有しているように感じます。