悪魔的な性格の悪さは直せる?→“ドイツの哲学者”の答えが辛辣すぎて身も蓋もない
そのゲームのなかでは、魔王が悶絶して死んでも、安らかに死んでも、結果は同じです。悶絶を求める人は、自分の利益を求めているのではなく、あくまでも他者の苦しみを求めているのです。 ではこの欲求をどのように説明したらよいのでしょうか。こうした問題を考えるのに有効な手がかりを示しているのが、近代ドイツの哲学者、ショーペンハウアーです。彼は、私たちが魔王に対して抱くような衝動を「悪意」と呼び、エゴイズムから区別したのです。 ショーペンハウアーの定義によれば、エゴイズムが自己の快楽を求めることであるのに対して、悪意は他者の苦痛を求めることです。何の利益にもならないにもかかわらず、人間が他者を苦しめたいと思うのは、悪意の衝動に駆られているからです。そしてそれはエゴイズムとは本来関係のない概念である、と彼は考えます。 近世イギリスの哲学者であるトマス・ホッブズと同様に、ショーペンハウアーもまた、あらゆる生物がエゴイズムを持つと考えました。エゴイズムは、私たちが生きるためには仕方のないものです。ところが悪意は、少なくとも生きる上ではまったく必要のないものです。
エゴイズムなしに生きることは不可能ですが、悪意なしに生きることは可能です。したがって、エゴイズムは動物的ですが、悪意は悪魔的である、と彼は表現します。その意味において、悪意はエゴイズムよりもより悪いことなのです。 ● 「生まれつき悪意が強い人」の 性格を変えることはできない では、どのようにして人間の心に悪意が宿るのでしょうか。ショーペンハウアーは、大変身も蓋もない回答を示しています。すなわちそれは、本人の性格に由来するものである、というのです。 人間には誰しも生まれもった性格というものが存在します。それは、私たちに与えられた身体がそうであるように、自分で選ぶことはできないし、そっくり交換することもできません。そうした性格によって、エゴイズムがどれくらい強いか、悪意がどれくらい強いかも決まってくるのです。 では、生まれつき悪意が強い人はどうしたらいいのでしょうか。ショーペンハウアーによれば、性格そのものは、後から変えることができません。つまり、悪意をもって生まれてきた人は、死ぬまで一生悪意を持って生きるのであり、どれだけ周りが説得したところで、自分の性格を刷新することはできないのです。