悪魔的な性格の悪さは直せる?→“ドイツの哲学者”の答えが辛辣すぎて身も蓋もない
● 暴力的なゲームをプレイすると 子どもも暴力的になる? もちろん、あまりにも残酷な描写になってしまうと、こちらが引いてしまうこともあるでしょう。だから加減が難しいところです。ある種のゲームには、それが強い暴力描写を含むということが、パッケージに記載されていることもあります。 なぜ、暴力描写の強いゲームには年齢制限がかかるのでしょうか。それは子どもに対してよくない影響があると考えられるからでしょう。では、その影響とはどのようなものでしょうか。 私が考えるに、おそらくそれは、子どもが他者の苦しんでいる様子を見て喜ぶような性格になってしまう、ということではないでしょうか。 たとえば、倒された魔王が「ぐおおおおおおお」と悶絶しているとき、その魔王は苦しんでいます。もしも、安らかに息を引き取るだけでは物足りない、と思うなら、そのとき私たちは、魔王が苦しんでくれないと満足できない、苦しんでいてほしい、と思っていることになります。要するに魔王が苦しむことを望んでいるのです。
もちろん、その欲求がゲームのなかだけに留まっているのなら、なにも問題はありません。しかし、それがエスカレートし、現実の世界でも同じような欲求を抱いてしまったら、これは大問題です。他者が苦しむことに快感を得てしまうのだから、そうした人は、暴力を振るったり、いじめを働いたりするかもしれません。 私は、暴力的なゲームが必ず人間を暴力的にする、と言いたいわけではありません。そうではなく、現実の世界ではとても許されないような暴力への欲求が―すなわち他者の苦しみへの欲求が、ゲームの世界には存在する、ということを、ここで考えてみたいのです。 もっとも、すべての人にそうした欲求があるとは思えません。世の中には、魔王の「ぐおおおおおお」にすら耐えられない人もいるでしょう。ただ、これだけ暴力的なゲームが世の中に流通していることを考えれば、かなり多くの人の心のなかに他者の苦痛への欲求があると考えても、不思議ではないのではないでしょうか。 ● なぜ人は不要な「悪意」を 抱いてしまうのか? 魔王の「ぐおおおおおお」への欲求は、エゴイズムではうまく説明できません。なぜなら、魔王が悶絶すること自体は「私」に対して何も利益をもたらさないからです。