2度の大怪我でプロ諦め…ふと目に入った「町田インターン募集」 夢破れ歩んだ紆余曲折【コラム】
町田の篠崎友広報は子どもの頃は東京都選抜に入るほどの選手だった
あなたが大学を卒業してJクラブに就職したとしよう。 入社して部長を含めて3人の広報部に配属された。社会人になって迎えた初めてのシーズン、クラブは開幕直後から好調で報道陣がどんどん増える。多くなった報道から次々に取材環境を整えてほしいなどの要望が出されててんてこ舞い。 【動画】「ケタ違いの凄さ」見る者の度肝を抜く町田の“最先端”クラブハウス内の映像 「取材用の胸から下げるパスカードがほしい」 「取材の際の受付ノートがほしい」 「待機できる場所を増やしてほしい」 「取材できるエリアを広げてほしい」 「練習後に○○選手のコメントを取らせてほしい」 チームスタッフと話し合ってそんな対応をこなしながら、ニュースリリースを次々に出し、SNS用の素材も集めなければならない。練習ではカメラで選手たちを追いながら、来ているメディアからの取材要望を選手に伝えて調整を行う。複数のリクエストを整理しつつ、さらに報道してもらう案も考えなければいけない。 2年目は優勝争いに絡んだことでメディアの数がさらに増えた。練習公開日には30人以上の報道陣が押しかける。リリースの数も爆発的に増え、1人増員された4人体制で立ち向かっていくものの、試合と試合の合間の1週間があっという間に過ぎていく。 そんな状況にいるのがFC町田ゼルビアの広報・篠崎友だ。篠崎は新入社員だった去年のことを聞かれ、ハッとした顔で「当時はやりながら仕事を覚えていくという状態だったので、これからどんなことが待っているか想像できないまま走り出していました。今になって『あの当時はよくいろいろやっていた』と思います」と振り返った。 「僕が言うのもおこがましいのですけど、今年のチームはスタッフ、選手、そしてフロントもより一体感を増してきました。それからファンサービスエリアも整備されて多くのファン・サポーターと交流できたことで、よりファミリー感ができたと思います」 今はそうやってチームの裏方として働く篠崎も、かつては華やかな舞台で活躍する選手を目指していた。 「小学校の頃、ありがたいことに東京都選抜に選んでもらいました。その頃からJリーガーになるのが夢になりましたね。高校は山梨の帝京第三高校に進学して、3年の時は総体で県大会に優勝したのですが、選手権は県大会の決勝で日本航空に負けて全国大会に出場することができませんでした。そして付属の大学である帝京大学に進学したんです」 大学生活のスタートは順調だった。ところが2年生になると度重なる怪我に悩まされる。 「ハムストリングと後十字靱帯を怪我して、保存療法を選んで復帰するまでに8か月かかりました。ところが、すぐに2度目の怪我をしてしまって。その時は酷くて、ピッチに戻るまで1年かかるだろうということでした」