2度の大怪我でプロ諦め…ふと目に入った「町田インターン募集」 夢破れ歩んだ紆余曲折【コラム】
プレーする側から「運営する立場」への思いが強くなったきっかけ
結局、この怪我で篠崎は幼い頃からの夢だったプロサッカー選手を諦めることになった。その辛い決断をした時、篠崎が思い出したのは、高校時代に遠征で行ったスペインのスタジアムの光景だったという。ゴールが決まった瞬間、近くの知らない老婦人が喜んでハイタッチしてきたのだ。スタジアムが沸騰する雰囲気が心の中で蘇って、篠崎は考えを変えた。 「今までプレーする側だったけれど、今後はチームを支える側になって、日本でもあんな風景が生まれるようにするのもいいかもしれない」 そんな思いが芽生え、プレーをする傍ら、チームを運営する立場としての仕事にもより積極的に関わるようになる。そして、主務としてサッカー部全体を支える立場となった。そうしてサッカー部の縁の下の力持ちになった3年生の終わり、将来を思い描いた時にいろいろなJリーグクラブのインターン募集が目に入った。 篠崎は書類選考に応募し、面接を受けて、いくつかのクラブのインターンに参加した。その中の1つが町田で、篠崎は主に運営担当補助として働いた。 「自分が想像していた以上にさまざまなことを任せていただきました。経験も積ませてもらいましたし、時給もいただいたことで余計に責任も感じました。卒業する時、みんなは一般企業への就職や大学院に進みましたが、僕はJリーグクラブへの就職1本に絞りました」 篠崎はそのまま町田に入社することになる。入社直後からいろいろな仕事を任され、そして指導を仰ぎながらではあるが、さまざまな権限も与えられて日々を過ごしている。 「今は少しでも早く一人前になってクラブに恩返しをしたいというのが願いです。自分がサッカーを通して夢や希望、生きがいを与えてもらったように、これからは自分がFC町田ゼルビアを通してファン・サポーターのみなさんへ、そういったものを与えられるような存在になりたいと思っています」 この時期になると町田はインターンとして学生スタッフを募集する。その募集リリースを書きながら、篠崎はもう一度初めて町田に来た時のことを思い出す。そして、今の学生に向けてこう語る。 「自分はあの時一歩踏み出して本当に良かったと思います。FC町田ゼルビアは自分のような新人や学生にもさまざまなチャンスを与えてくれますし、自分が挑戦したいと相談すれば、やらせてくれる環境なので、少しでも『Jリーグクラブに興味がある』『Jリーグクラブで働きたい』という思いがあれば、みんなにもぜひ踏み出していただきたいと思いますね」 [著者プロフィール] 森雅史(もり・まさふみ)/佐賀県出身。週刊専門誌を皮切りにサッカーを専門分野として数多くの雑誌・書籍に携わる。ロングスパンの丁寧な取材とインタビューを得意とし、取材対象も選手やチームスタッフにとどまらず幅広くカバー。2009年に本格的に独立し、11年には朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の平壌で開催された日本代表戦を取材した。「日本蹴球合同会社」の代表を務め、「みんなのごはん」「J論プレミアム」などで連載中。
森雅史 / Masafumi Mori