タヌキに守られた昭和の風景 新5千円札デザインの「ノダフジ」も 大阪・野田 長屋が息づくまち 関西の路地
■時代物語る長屋
路地や小道を形成する建物も実は興味深い。野田で最古の「北向火除(きたむきひよけ)地蔵尊」のそばにある五軒長屋「玉二三(たまふみ)長屋」の住民と出合った。
通りから見ると長屋だったが、角を曲がった後も塀が続いており、門もあった。門中には石畳の通りを挟んで長屋の裏側と母屋が向い合っていた。変わったつくり。長屋の2階には木製の物干し台、門の近くには井戸も。時間がゆっくり流れているようで居心地が良かった。
母屋の住民、田中加奈子さん(57)は「明治時代に両方同時に建てられたと聞いています。戦後は一旦、長屋を手放したため、今うちが持っているのは一軒だけですが、長屋のみなさんとは仲良くさせてもらっています」。
イベントやマルシェを通じて中庭や長屋を公開しており「古い建物を大事に使うことでまちの景観保存になれば」と語った。
長屋の多くは老朽化でマンションや新築物件に建て替わっているが、大正、昭和初期に良質の材料でつくられた「大阪長屋」がまだいくつもあり、人々の暮らしとともに息づいている。
■火除けの神さん
野田に市中央卸売市場ができたのは昭和6年。それまでは府内各地に専門の市場が点在していたという。
「天満は青物、雑喉場(ざこば)は魚、靭(うつぼ)は乾物か。朝が早いから市場関係者が移り住んできたと思います」
鈴木さんが説明する。立派な屋敷や長屋が多いのは商売人や市場関係者がたくさん住んでいたからかもしれない。
JR野田駅から市場へは約1・5キロの貨物線が通っていたが60年に廃線。跡地の緑道にひっそり祭られるのが「源吉たぬき」こと、源吉大明神だ。
「火除けの神さんで、町が戦災に遭わなかったのはおタヌキさんがおられたからといわれています」
最近まで住宅街に鎮座していたが、家主が代わって引っ越しを余儀なくされた。「大阪市にかけあい、署名運動をしてやっとのことで許可が下りました」
この近くには昔踏切があり、踏切から東へのびる通称・大野町通りは商店街だったという。