モンゴル出身者が感動した親日派中国教師の教え 先生が歴史の教科書を「これは全部ウソ」と否定
文革が終わった翌年から、大学は学生を受け入れたのだが、文革中はまともな教育が受けられなかったから、中学・高校で以前の学生ほどは勉強をしていない子供たちが、そのまま大学生になったわけである。 私は、小学5年のときに文革が終わったので、中学生になってからは猛烈に勉強した。そして、地元の南モンゴルにあるオルドスの高校に進学した。 高校の先生には、この南モンゴルの地に下放された、もとはフフホト市や北京、それに上海などで暮らしていた知識人たちがいた。下放とは、中国共産党幹部や知識人が農民の生活と仕事を体験することである。文革期には、大学教授などの知識人が農村地域に下放された。「反革命知識人」「反動分子」と糾弾され、紅衛兵や中国人(漢人)農民から暴力を受けた知的エリートたちもいた。
■中国共産党が全人民を率いて、日本軍に勝利した 私が入学した高校では、元大学教授などが先生だった。中国人(漢人)の先生もいた。「知識青年」という用語があるが、こうした先生は、私からすると「下放知識人」と呼ぶのがしっくりくる。彼らの授業は、今思い出してもレベルが高くておもしろかった。 当時、歴史の教科書をひらくと〈中国共産党が全人民を率いて、日本軍に勝利した〉と書いてあったように記憶している。しかし先生は「これは全部ウソだよ。僕らは日本軍にいたけど、中国共産党と戦ったことは一度もない。蔣介石の国民党軍と戦っていたのだ。ただし、大学入試に出るから、ウソと承知で暗記しなさい」といっていた。戦争の現場にいた人の話だから、疑いようがない。
「日本軍は、教科書に書いてある通り、村を襲って殺人や放火、強姦を働いたんですか?」と尋ねると、先生は「そんなわけないよ! 日本軍は規律正しかった」と怒っていた。 満蒙という用語は聞いたことがあるだろう。中国東北部の満洲と、内蒙古(内モンゴル)を指す。その地に1932年、満洲国が成立するが、満洲国の軍隊には、日本人部隊、モンゴル人部隊、高麗人部隊があって、先生はモンゴル人部隊に所属していた。 先生は、南京事件の記述も「デタラメだ」と語っていたように思う。教科書を否定する知識人の反骨精神は、10代の私たちには刺激的だった。