モンゴル出身者が感動した親日派中国教師の教え 先生が歴史の教科書を「これは全部ウソ」と否定
旧満洲出身の日本事情を教える先生がいて、講義のたびに「満洲国は素晴らしかった」という話が出た。何がよかったかといえば、白米のご飯が毎日食べられたというのだ。 ■「きれいな字を書いてはいけません」 愛国華僑の先生たちは「自分たちは騙されて中国へきた」とよく話していた。共産党のキャンペーンに乗せられ、新中国をめざしてきたのに文革がはじまったというのだ。「あなたたちはようやく育った知識人なのだから、ちゃんと勉強しなさい。礼儀作法やマナーも身につけなさい」と繰り返し言われた。
共産党政権になってから、上流階級の礼儀作法は封建社会の文化だと否定されたからだ。むしろ、粗野であることはプロレタリアートの美徳であり、正しい生き方だと教えられた。 たとえば、毛筆できれいな字を書くことはブルジョアジーの悪い趣味で、汚い字を書くことこそ正しいと習った(耳を疑うかもしれないが、本当のことだ! )。 私の父は達筆だったから、私は、物心がついた頃から、父に字を習っていた。ところが小学校に入ると、先生から「きれいな字を書いてはいけません」と言われ、私の字がどんどん下手になることを父は嘆いていた。
第二外大の先生たちもたいてい達筆で、学生たちの字が汚いと嘆いていた。愛国華僑の先生は、女子学生に「下着が見えるような座り方はよしなさい」とよく叱っていた。女性の振る舞いも、すっかり粗野になっていたからだ。粗野こそが労働人民の素朴な美徳だ、と奨励されていた時代だ(ちなみに日本の進歩的知識人たちも、中国人の粗野な行動をもろ手で賛美していた! )。 南モンゴルの高校で、蒙疆政権を知る先生や、留学経験がある朱先生に教わっていた私は、そうしたことに違和感はなかった。しかし漢人の同級生たちは、これまでと真逆のことを言われたのか、カルチャーショックを受けたようで、礼儀作法やきれいな字を書くことに苦労していた。彼らのほとんどが共産党の高級幹部の子弟なのに、北の草原からきた私のほうが洗練されていたわけだ。
楊 海英 :静岡大学教授