腎移植の「待機期間」は14年以上も…透析患者が「孤独」になる「納得の理由」
「私たちは必死に生きた。しかし、どう死ねばよいのか、それが分からなかった」 なぜ、透析患者は「安らかな死」を迎えることができないのか? どうして、がん患者以外は「緩和ケア」を受けることさえできないのか? 【写真】「配偶者」というだけでは「腎移植のドナー」になれない… 10年以上におよぶ血液透析、腎移植、再透析の末、透析を止める決断をした夫(林新氏)。その壮絶な最期を看取った著者が記す、息をのむ医療ノンフィクション、『透析を止めた日』(堀川惠子著)が刊行された。 『透析を止めた日』は、これから透析をする可能性のある人、すでに透析を受けている人、腎臓移植をした人、透析を終える時期が見えてきた人だけでなく、日本の医療全般にかかわる必読の書だ。 本記事では、〈「お前、透析になるんだってな。これで終わりだな」…医師からいきなり難病と診断されたテレビディレクターの「過酷な運命」〉につづき、「腎臓移植」という選択肢について話し合う様子を見ていきます。 ※本記事は堀川惠子『透析を止めた日』より抜粋・編集したものです。
移植という選択肢
「腎臓移植」という4文字が私の脳裏によぎり始めたのは、林の副甲状腺切除手術の問題が持ち上がった2007年ころからだ。 このころ、林は定期の人事異動で、NHKの外郭団体である制作会社に出向中だった。いわば子会社の部長職だが、閑職だったわけではない。むしろ逆で、彼は口癖のように言っていた。 「NHK本体の局員は恵まれている。ここにいるプロパーの社員たちは、本体に比べて遥かに待遇が悪いのに、やる気があって優秀なヤツが沢山いる。あいつらの努力に少しでも報いるのが俺の仕事だ」 林は後輩たちに経験を積ませようと、政治や経済、スポーツに戦争などあらゆる番組の企画を通すために走り回った。自分が異動でいなくなったあとも、彼らが主導権をもって活躍できる場を作っておこうと、新たな形態の番組開発も手がけた。 部下が不祥事を起こして週刊誌ネタになり、ネットやテレビのワイドショーで叩かれる騒動が起きたことがあった。林は寝る時間を削って後輩が会社を辞めなくてすむよう手を打ってまわった。「もう放っておけばいいのに」と何度思ったか分からない。のちに林の後任の部長から、「当時の記録を読んで、林さんを見直しましたよ」と聞いた。愛想はないし上手もできず、上層部からは煙たがられる。しかし、後輩のことはとにかく大事にした。私が林を尊敬するのも、こういう姿に接してきたからだ。 そんな管理職の仕事をこなしながら、林は自身の職業人生の仕上げに向けて的を絞りつつあった。満を持して準備していたテーマが「天皇制」。こんな大テーマを番組化するには、NHK本体に戻るにあたり、相応の部署に配属されねばならない。希望通りの人事が行われそうな打診も内々に得ていて、職業人として大事な時期に入っていた。 しかし、林が透析を始めて約10年。その働き方をそばで見ていれば、いくら私が栄養や休息に気を配っても、今後、様々なトラブルは不可避だと思えた。これから数年、さらなる激務に耐えられるのか。副甲状腺の問題をはじめ、トラブルが起きるたび手術を繰り返せば、体力を奪われ、気力も失い、ジリ貧になる。番組制作は、最後の最後は体力勝負。健康も仕事も同時に失う事態だけは避けたかった。 ひとり解決策を探るうち、腎臓移植(腎移植)という選択肢に行き当たった。 腎移植は、他の肝臓移植や心臓移植に比べると、万が一、手術に失敗しても再び透析に戻れば命は保たれる。そういう事情もあって比較的、症例数が多い。国内最初の腎移植が行われて半世紀がたち、術式も確立されている。 当時の日本移植学会の調査では、腎移植患者の10年後の生存率は8割を超えている。かたや透析患者の10年後の生存率は4割で、生命予後はまったく違った。 機器に繫がれて生きざるをえない透析患者にとって、その世界から唯一、解放される手段が腎移植だ。移植という希望は、ないよりあったほうがいい。しかし林の口からは、ただの一度も移植について語られることがない。それが不思議でならなかった。 互いの休みが重なった日曜の昼下がり、林が珍しくソファに横になってぼんやりテレビを観ていた。CMになるタイミングを見計らって、副甲状腺の手術を回避する方法はないのかな、と話をふってみた。 「そりゃ、腎移植しかないだろう」 林は即答した。これなら話は早い。脳死となった人から腎臓を提供してもらうために、日本臓器移植ネットワークの移植希望登録はもちろんしているだろうと思いきや、 「いや、俺は登録しなかった。登録しても10年は待たされるっていうし、脳死に至った人から腎臓をもらうんだから、ある日突然、入院して手術って流れになるだろう? 仕事を途中で放り出すことになるし、現実的じゃない。10年は長いぜ」 実際、移植の順番がまわってくるのは「宝くじ」に当たるようなものだ。移植を希望する患者に対して臓器提供が追いつかず、需要と供給のバランスが大きく偏っている。ドナー(提供者)とレシピエント(移植を受ける人)との生体的な条件が許容範囲で合致せねば提供は受けられない。待機者の中から選ばれるのは、まさに「宝くじ」。その宝くじに当たり、やっと順番がまわってきても、たまたま風邪を引いて体調を崩していれば手術はスキップされる。 臓器移植について、ここで少しだけ現在に話の針を進めたい。2020年の世界保健機関の集計では、日本の臓器移植件数は世界42位、先進国では最低レベルだ。 腎移植の「平均10年」という待機期間も、2023年には14年8ヵ月まで延びている。海外で違法な移植手術を仲介する事業者が逮捕された事件は記憶に新しい。医療体制の不十分な海外での移植手術で死亡したり、重篤な後遺症が残るリスクはあっても、大枚をはたいて移植手術にかけようとする患者は後を絶たず、「移植ツーリズム」という言葉すらある。なぜそんな無茶を、と思われるかもしれないが、腎不全患者にすれば生きるか、死ぬか、命がけなのだ。 最新の日本移植学会の調査では、他の臓器でも深刻な事態に陥っているという。臓器提供が行われ、移植の条件が合致しても、病床が確保できなかったり医師やスタッフが足りなかったりして、手術を断念するケースが増えている。2023年に臓器提供を待ちながら死亡した患者は463人。移植を巡る環境は年々、厳しくなる一方である。 話を戻すと、林は透析を始めてほぼ10年。もし透析を導入した時点ですぐ移植希望登録をしておけば、1回くらいチャンスは巡ってきたのではないか。 「そういえばそうだな。でも俺は、移植はどうも気がすすまないんだ」 理由は、かつて手がけたアメリカの移植医療の番組だという。主人公である移植患者の女性が、毎食後、両手に山もりの免疫抑制剤を飲まねばならなかったり、ステロイドの副作用で鬱になってふさぎこんだり、顔が風船のようにパンパンに膨れたりする様子(ムーンフェイス)を目の当たりにして、移植に拒否感を持ったという。 「あんなしんどい思いをしながら、仕事はできん」 しかし、医療は進歩している。副作用の問題も緩和されてきているはずだ。そんな昔の番組にこだわって、貴重な機会を逃してきたのではないか。冷静な林らしくない。 「まあな、でも考えるだけ時間のムダさ」 どう投げかけても興味を示さず、私の顔を見ようともしない。リモコンでチャンネルを次々に変えながら、「つまらん番組ばっかりだ、もうテレビは死んどるな」などと毒づいている。 「私の腎臓、使えないかな?」 その言葉で、ようやくこっちを見た。お前、何を言ってるんだ、と目を丸くしている。 脳死の人からの献腎移植が難しいならば、生体腎移植がある。幸い、私には持病がない。今のところ、いたって健康体だ。 血液のABO式では二人の血液型は異なるが、移植は可能だ。最近は拒絶反応が起きないよう術前に色々と手当てを行うし、免疫抑制剤の効果も上がっている。血液型が異なる移植でも生着率はほとんど変わらないという論文もある。 調べた情報を早口で披露すると、彼の顔つきが変わっていくのが分かった。 「君は注射すら怖がるくせに、手術で何をするのか分かってるのか? その細い腹を切って腎臓を取り出すんだぜ?」 そんなことは承知のうえだ。もう少し正確に書くとドナーの側は多くの場合、腹を切るのではなく腹腔鏡を使う。小穴から片方の腎臓を取り出すことができる。 ともあれ私たちはこの日、初めて腎移植について話し合うことができた。これまで遠慮して口に出せなかった透析に伴う合併症についても、ようやく正面から話し合えた。大事なことほど、言葉にするのは難しい。それがようやく議論の俎上に載った。 林の話を聞くうちに、彼がこれまで移植のことにふれなかったのは、アメリカの移植医療の取材が真の理由ではなく、ただ誰にも相談できなかったからかもしれないと思った。実家で移植について話題になることは一度もなかったというし、それ以前の問題として、自分から腎臓がほしいなどとは切り出せないだろう。最近では透析患者に臨床心理士が面接して、移植をふくめ心のケアを行う体制を整えているクリニックもあると聞くが、それもごく一部に限られる。透析患者は本当に孤独だ。 林にとっては、無意識のうちにあきらめようと自分に言い聞かせてきた可能性が突然目の前に現れた感じだったのかもしれない。この日の夜、決心をしてくれた。 「惠子の健康な体にメスを入れるのは、やっぱり抵抗がある。まだ会ったこともない君のご両親にだって、そんなことは言えない。だけど、移植については考えてみるよ。俺は移植希望登録をすることにする」 * さらに【つづき】〈「配偶者」というだけでは、「腎移植のドナー」になれない…多くの人が知らない、ドナーになるための「厳しい条件」〉では、腎移植のドナーの資格について、見ていく。
堀川 惠子(ノンフィクション作家)