マクドナルドにもしビッグマックがなかったら…日本の外食を変えた「豪快バーガー」誕生の裏側
マック、YouTube、成人の日…今では誰もが知っていますが、いったいどのように生まれたのでしょうか。 今回は新刊『モノの由来 世にも意外な「はじまり」の物語』(青春出版社刊)から、誰もが知っているけど始まりは意外と知られていないモノについて、抜粋して紹介します。 ● マクドナルドのブランドを決定づけた「ビッグマック」誕生の裏側 世界中で愛されるファストフードの雄・マクドナルド。2024(令和6)年、日本では過去最高の業績をあげるほど、ますます存在感を高めている。 バズりやすいCMを打ち、季節ごとの限定メニューを販売することでもおなじみで、今の寒い時期なら「グラコロ」を毎年楽しみにしている人も多いのではないだろうか。 だが、やはり固定ファンの心をつかんで離さないのはこだわりのレギュラー商品だ。なかでもマクドナルドの看板商品といえば、やはり「ビッグマック」だろう。 この商品の生みの親は、アメリカのピッツバーグでフランチャイズのオーナーとしてマクドナルドを経営していたジム・デリガッティという人物である。 いまひとつ経営がうまくいっていなかった彼は、どうすれば売上げが伸びるか考えていた。自分の店はもちろん、マクドナルドブランド全体を盛り上げる何かいいアイデアはないものか……。 そうしてひらめいたのが、新しいバーガーの開発だった。試行錯誤を繰り返し、何度も本社へのプレゼンにトライした結果、二段重ねの大きなバーガーにチャンスを見出した。
3枚のバンズに、100パーセントのビーフパティが2枚、そこへレタスやオニオンなどの野菜を合わせ、チーズと特製のソースで仕上げる。 1968(昭和43)年、「ビッグマック」と名づけられたこのボリューム満点のバーガーを自分の店で販売したところ、売上げは12パーセントもアップしたのだ。 日本にマクドナルドが上陸したのは、3年後の1971(昭和46)年のことだが、そのきっかけになったのもビッグマックだった。 後に社員となるある男性スタッフは、シカゴのマクドナルドでビッグマックを2個たいらげた。そのあまりの美味しさに、彼は日本マクドナルドの創業者の藤田田に日本での展開について太鼓判を押したという。 その後、日本でもマクドナルドの代名詞となったビッグマックだが、今ではビッグマックの値段で各国の経済力をはかる「ビッグマック指数」なる指標も生まれている。 というのも、ビッグマックは世界各国でほぼ同じ原材料でつくられているため、物価の比較がしやすいのである。 ただ大きすぎるあまり、スマートに食べにくいのが唯一の難点で、「さかさまに持つ」「一度つかんだらそのままの形で最後まで食べ切る」など、さまざまなコツが出回っているが、躊躇なく潰すのが世界では主流だ。この豪快なバーガーは、豪快に食べてこそ味わい深いのである。 ● ビッグイベントの想定外のハプニングが、「YouTube」を産んだ 子どもからお年寄りまで、今では誰もが当たり前に楽しんでいるYouTubeだが、意外とその成り立ちは知られていない。 YouTubeの発祥はアメリカで、今も本社は創業の地であるカリフォルニア州にある。創業者は、チャド・ハーリー、スティーブ・チェン、ジョード・カリムの3人で、一般的には「仲間とのパーティーで撮った映像を共有したいと感じたことがきっかけ」だとされているが、実は理由は別のところにもあった。 それは2004(平成16)年、全米ナンバーワンのビッグイベントである「スーパーボウル」において、シンガーソングライターのジャネット・ジャクソンがパフォーマンスを披露した時のことだ。