「目の前にいたのに助けられなかった」「子どもたちは帰りたくないと言ってたのに」 家族を失った者たちの叫び【能登半島地震から1年】
発災は正月だった。あれから1年、季節は巡っても、能登半島にはいまだ地震の爪痕が残っている――。 【写真をみる】不自然な倒れ方をした「五島屋ビル」 震源地の石川県珠洲市に隣接する輪島市では、倒壊した建物の多くが撤去されておらず、崩壊した道路はそのままの状態だ。液状化被害の大きかった内灘町には、大きく沈下した民家が並ぶ。 それは9月に発生した豪雨の影響もある。能登の人びとはいまだに“二重被災”に苦しんでいるのだ。そんな中、石破茂首相(67)就任直後に「日本創生解散」をうたって行われた衆議院選挙では、石川3区で立憲民主党の近藤和也氏(51)が自民党の西田昭二氏(55)を破って当選し、15年続いた“保守王国”が崩れるという番狂わせも起きた。 12月17日には、能登半島地震・豪雨災害の被災地復興支援を盛り込んだ2024年度補正予算案が可決された。石破首相は「一番つらい思いをした人たちに、一番温かい手を差し伸べなくて何が国家だと思っている」と語り、復興に尽力すると意気込んだ。 少しずつ動き出している能登半島の復興。しかし、家族を失った者たちの苦しみが消えることはない――。(「週刊新潮」2024年1月25日号、5月2・9日号をもとに再構成しました。日付や年齢、肩書などは当時のまま) ***
一瞬のうちに奪われた4人の命
石川県警珠洲署の警備課長、大間圭介さん(42)は、震源地となった珠洲市内にある妻の実家で元日を過ごしている時に被災。自身は1度目の揺れで安全確認のため屋外に出ており、無事だった。しかし、2度目の揺れで家は裏山の土砂にのまれた。妻のはる香さん(38)、長女の優香さん(11)、長男の泰介くん(9)、次男の湊介(そうすけ)くん(3)の命が一瞬のうちに失われた。 地震当時、その家には大間さん一家の他、大間さんの妻の兄夫婦と子供、妻の両親と祖父母もいた。 「1日は朝ご飯の後、仁江(にえ)の坂を下ったところにある神社にお参りして、帰って来てお昼ご飯を食べた。みんなで人生ゲームのようなボードゲームをしていた時に地震が起こりました」 大間さんはそう語る。 「僕は状況を確認するために外に出たのですが、警察官なので地震対応に行かなければという思いもあった。最初に揺れた時に子供たちが泣いて怖がっていたんですけど、“ごめんお父さん仕事行かなきゃいけないから”ということで非常に葛藤がありました」 そこへ2度目の大きな揺れが襲った。 「家の裏山の崖のようになっているところが崩れ、上の方からバキバキ、ドドドドーという音がして、家の方向に土砂が滑り落ちてくるのが見えた。その土砂崩れで家が崩壊する時、何を思ったかというと、自分の身の危険ではなく、子供たちが死んでしまう、妻も妻の家族もみんな死んでしまう、それだけだったんですよ。どうしようどうしようとパニックになって」 1日に義兄とその子供が救出された。 「自衛隊が救助活動をする中で、4日に男の子の胴体の部分が見えたんです。自衛隊の方に“お父さんちょっと来て下さい、ここにお子さんみたいなのが見えるんですけど”と言われて見たら、胸から腰あたりが挟まった状態でした。“生きてますか?”と聞いたら、その時にはもうだめやったんですけど……」 残る二人の子供と妻、妻の祖父母と義兄の妻も助からなかった。 「私たちは去年のGWも珠洲にいて、子供たちといちご狩りをしている時に地震に遭った。それ以降、子供たちは地震を怖がって、珠洲に帰りたくないと言っていたんですけど、大丈夫だよとなだめて連れて来たのにこういう形になってしまい、子供たちに申し訳ない」 一番下の湊介くんは仮面ライダーが好きだった。土砂の中から発見された時、傍には変身グッズがあったという。