引退発表した斎藤佑樹が背負い続けた「ハンカチ王子」の呪縛と覚悟…早大時代に漏らした「別の人生を歩めたかも」
西武に1位指名された大石達也(現西武二軍投手コーチ)、広島に1位指名された福井優也(現楽天)の同期右腕コンビに刺激され、自分も150km超のストレートを投げることに、こだわっていた時期。高校時代からバッテリーを組み、大学でも控え捕手として斎藤を縁の下で支え続けた白川英聖さんにも当時取材した。 大学卒業とともに野球に別れを告げた白川さんは、ちょうど3年のころに「右肘の位置がしっくりこなくなった」と不調にあえいだ理由を明かしてくれた。 「肩の筋肉が硬くなった影響で、肘が上がらなくなったと斎藤は悩んでいました。無理に右肘を上げようとすると、その分だけ、身体を傾かせないといけないし、結果としてバランスを崩す悪循環を招いてしまう。4年になるころには、バランスを崩すフォームだけは避けよう、たとえ球威が落ちても低目へ投げようという結論に達しました」 低目へのコントロールとボールの切れ、さらに必要な場合には打者の手元で微妙に動かす術を中心にすえたピッチングを、偉大なるOBのエールが後押しした。 新人合同自主トレの初日、2011年1月12日の夜に都内のホテルで行われた早実野球部のOB総会。エースとして昭和32年の春の選抜を制した王貞治氏は、同校の歴史上で2人目となる甲子園優勝投手の斎藤へ、厳しくも温かいエールを送っている。 「大変だと思うけど、これは宿命。斎藤本人の頑張りで、自らが招いたこと。自分でまいた種は自分で刈れと言いたい。すでに華はあるが、もっと大きな花を咲かせてほしい」 球団を通じて「ご期待に沿うような成績を残すことができませんでした」とコメントした通り、プロとしての斎藤は周囲に期待された結果を残せなかった。右肘の内側側副じん帯を断裂した影響で、昨シーズンからは一軍登板も果たせていない。 それでも王氏のエール通りに、斎藤は愛してやまない野球に泥臭く、がむしゃらに取り組み続けた。結果を出せないまま契約が更改されるシーズンオフになると聞こえてくる、心ない批判の言葉の数々を宿命だと受け止め、自らを奮い立たせる糧に変えてきた。 報道によれば手術ではなく保存療法で右肘の完治を目指した今シーズンへ、斎藤は背水の陣を敷いて臨んでいたという。 愚直にもがき続け、ユニフォームを脱いだ男の決意には「絶対にない」とハンカチを否定し、アマチュア時代の仮面を脱ぎ捨てた10年前からさらけ出してきた、斎藤佑樹の素顔が色濃く反映されていた気がしてならない。 (文責・藤江直人/スポーツライター)