引退発表した斎藤佑樹が背負い続けた「ハンカチ王子」の呪縛と覚悟…早大時代に漏らした「別の人生を歩めたかも」
学校や大手百貨店に青いハンカチへの問い合わせが殺到。ウェブオークションで同じ銘柄のそれに1万円超の値段がつけられ、一部ハンカチメーカーの株価も急上昇するなど、フィーバーが社会現象に発展するなかで斎藤は違和感を募らせていった。 品行方正で聡明で、それでいて誰よりもクール。ハンカチ王子の呼び名を介していつしかできあがったイメージが独り歩きしていったが、斎藤の素顔は実は対極に位置していた。 泥臭さをモットーとする情熱家。気さくで、一度しゃべり出すと言葉の洪水が止まらない。成人して飲酒もOKの年齢になると、野球部の気心の知れた仲間たちと「あの女の子たち、ナンパしちゃおうか」とついつい盛り上がることもあった。 しかし、一緒にいこうと促されるたびに、斎藤からは同じ言葉が返ってきた。 「僕はやめておくよ。イメージがあるから」 普通の大学生ならばまず感じる機会がない息苦しさは、寮の近くに写真週刊誌のカメラマンを見つけ、外出を思いとどまったときにも頭をもたげてきた。 密着取材していた前出のスポーツ新聞会の記者は、もしも野球とは無関係のハンカチがメディアに取り上げられなかったら、という雑談のなかで斎藤のこんな言葉を聞いたという。 「別の人生を歩めたかもしれなかった」 メディアに対して恨み骨髄の思いを抱いていたわけではない。むしろ逆に感謝していると、スポーツ新聞会の最後のインタビュー取材に対して斎藤は語っている。 「高校3年からこういう感じだったけど、メディアに取り上げていただけるのは嬉しい。結果を出さなければ苦しむのは自分なので、自分にプレッシャーをかけて活躍できるように頑張りたい。格好をつける必要はないし、実力がなければ二軍で鍛えればいい」 おりしも千葉県鎌ケ谷市にある自主トレ会場のファイターズタウンには、連日のように大勢のファンが駆けつけていた。再び巻き起こったフィーバーに感謝しながら、大学3年時に周囲が一時的に収束した経験から、斎藤はこんな言葉を紡いでいる。 「いま来られているファンの方々ももちろん大事だけど、すぐに覚めるというか、おそらくは時間の経過とともに離れていく。その後にいかに自分の実力で、野球ファンの方々を取り戻していけるか。それが大事だと思っている」 大学の4年間は試行錯誤した末に、プロへ挑むための実力を磨いた期間でもあった。 東京六大学史上で6人目となる通算30勝、300奪三振をマークした4年間を振り返ると、3年時の春に4勝2敗、秋には3勝2敗と負けが込んでいる。斎藤自身をして「先発して、4回まで持てばラッキー」と言わしめたスランプに陥っていた。