イトーヨーカドー、「33店舗閉店」で露見した“残酷な真実”とは? 津田沼店を訪れると、あまりに”悲しい光景”に切なくなった…。
【2024年9月5日10時35分追記】初出時、記載の内容に誤りがありました。お詫びして修正致します。 前述したポストでは、「津田沼はかつて『行く』街だった」と述べられているが、まさにちょっと特別な場所としてヨーカドー津田沼店はあったのだ。 ■商業エリアの中心が動いた しかし、ここに強敵が現れる。津田沼店誕生の4年後に誕生した「ららぽーとTOKYO-BAY」である。津田沼店からはわずか4キロほどで、車で行けば10分かからない距離。津田沼の隣、船橋の臨海エリアに誕生した。ちなみに、元はと言えば、懐かしい人には懐かしい「船橋ヘルスセンター」がある場所だ。
ここは、今でこそ全国に増えた「ららぽーと」の1号店にして、現在でも日本最大級の面積を誇る大ショッピングモール。現在の敷地面積は約171,000平方メートルで、東京ドーム3.6個分。でかすぎる。 とはいえ、ららぽーとTOKYO-BAY、オープン当初は日本に本格的なショッピングモールがなかったこと、ららぽーと自体が初出店だったこともあって、先行きが不安視されていた。なにより、すぐ近くの津田沼は戦争中だ。そんな激戦区にあって、後発の業態がうまくいくはずがない、そう目されていた。
だが、その目論見は見事、外れる。オープン時には4万人が来場し、推定では25万人が来場したらしい。客の勢いは止まらず、このショッピングモールはさらにさらに面積を広げていく。 そこでの集客にあやかろうとしたのか、2000年には、この臨海エリアに、コストコやカルフール、三井アウトレットパーク幕張など数多くの商業施設が誕生。これには、2000年に大店法が改正され、大規模な小売店の出店が容易になった事情もある。明確に「行く」街は、この臨海エリアになったのである。
さて、そうなると大変なのが津田沼駅前にあった商業施設たちである。そこで戦争をしていると思ったら、予想しないところで客を取られてしまった。折しも時代は、GMSの時代からショッピングモールの時代へと移り変わっていくさなか。津田沼に数多くあった商業施設は、また一つまた一つと閉店していった。 その跡地に商業施設ができる場合があったが、そこには多くの場合、生活に密着したテナントが入る場合が多い。例えば、2007年に閉店した丸井津田沼店のあとにできた「mina津田沼店」には、ダイソーやJINS、AOKI、業務スーパーなど、さまざまなチェーンが入っている。まさに、特別感のあるラインナップというよりも、「住む」街として、そこに住んでいる人たちに特化したラインナップへと変わっていったのだ。