「孤独のグルメ」ファンの矛盾! 全然“孤独”じゃない聖地巡礼、本当にそれでいいのか?
SNS時代に問う「自由」「哀愁」の価値
このような研究結果は、『孤独のグルメ』が描いてきた「街との出会い方」の価値を、現代的な視点から裏付けるものだといえる。井之頭五郎が効率的なナビゲーションに頼らず、あいまいな道を歩きながら偶然に店を見つける姿は、まさに「まち歩き観光」の本質そのものである。 『孤独のグルメ』をただのグルメ作品として捉えるのは間違いだ。作品には、現代の効率主義や情報過多の時代に対して、人間本来の ・発見する喜び ・偶然との出会い の重要性が込められている。 SNSで「いいね」を求めて店を巡ったり、効率重視で「ハシゴ」をしたりすることは、作品が描く本質的な価値とは根本的に異なる。描かれているのは、社会の主流から外れた場所で見つかる自由や、そこに至る過程に宿る“哀愁”だ。この価値を「ミシュラン化」することには、やはり「しゃらくせえ」と思う気持ちで対抗したい。 少し長くなったが、冒頭で触れた「『孤独のグルメ』なのに、まったく「孤独じゃない」というツッコミ」が生まれる理由は、まさにここにあるのだ。
昼間たかし(ルポライター)