「孤独のグルメ」ファンの矛盾! 全然“孤独”じゃない聖地巡礼、本当にそれでいいのか?
効率主義では味わえない「発見」の喜び
作品中の台詞の面白さが話題となった漫画レビューサイト『BLACK徒然草』を運営するじゃまおくんは、インタビューで評価が広がった理由についてこう語っている。 「ひとりで美味しいか不味いか微妙なものを食べて、自分なりの答えを見つけて、納得して終わる、というマンガがなくて、それを実はみんなが求めていたんではないでしょうか。台詞が共感を呼ぶんです。これまさに俺だよ! みたいな。食べながらこんなこと思っているよなあ、というのがすべてだと思います」(『テレビブロス』2010年12月11日号) 「自分なりの答えを見つけて、納得して終わる」というじゃまおくんの指摘は、作品の本質をよく捉えている。実際、久住もドラマが話題になり始めた時期に「発見」の価値について語っている。 「店探しにしても、あちこち探して歩いていい店を見つけるのは時間がかかるけど、その分当たったときの喜びも大きいし、失敗しても笑い話になる。「食べログ」で調べれば早いけど、ただ確認するだけでしょう? 時間をかけるからこそ、面白いものが見つかるのです。こういう姿勢が時代に合ってきたのかわかりませんが、『孤独のグルメ』は2000年に文庫化されると、毎回数回ずつ増刷がかかるようになりました。ネット上で、「孤独のグルメごっこ」が流行り出し、本もまた売れ出して、映像化され、僕もそれに出演して……と、いつのまにか、こんなことになってしまいました」(『THE21』2014年1月号) ドラマ版は低予算のテレビ東京系列の深夜枠ということもあり、作品の根本的な部分をしっかり押さえているように思える。実在の店舗が登場するため、街を歩き回ったり店を探したりするシーンに長い時間が割かれている。本作の神髄を味わうために店を訪れる際に大事なのは、この部分だ。 クルマやタクシーで店に直行したり、事前にアプリで効率的なルートを検索するのは意味がない。そうした現代的な「効率主義」は、この作品の本質を見誤っているからだ。この作品の本質は、仕事の合間や知らない街での偶然の出会いにある。井之頭五郎が店に入るのは、あらかじめ決めた計画ではなく、そのときの状況や直感に導かれてのことだ。 ・空腹感 ・店のたたずまい ・路地裏 の雰囲気が、自然と彼を店に引き寄せるのだ。むしろ、井之頭五郎が店を探しているのではなく、 「店が井之頭五郎(のような人物)を探している」 のかもしれない。