47歳で死去「出版王・蔦屋重三郎」の謎多い人生。江戸を舞台にした大河「べらぼう」が始まる
吉宗は江戸幕府中興の祖として著名ですが、その子どもである家重は病弱かつ言語に障がいがあったとされ、政治は老中に一任されていたと言われています。 そうした時代に生まれた重三郎は、後に出版業に関わるようになり、出版王とも言われました。つまり、2025年の大河は、出版業者が主人公なのです。 これまで数多くの大河が放送されてきましたが(『べらぼう』で64作目)、出版業者が主人公となったのは初めて。天下泰平の江戸時代の人物、しかも出版がテーマということで、合戦シーンはないといってよいでしょう。
■吉原で生まれた蔦屋重三郎 重三郎は、江戸の吉原で生まれます。そして、前述のように、本屋を開業。吉原関連の書物の出版をスタートするのです。 時を経るに従って、出版される本の種類も多様化していきます。洒落本、黄表紙、狂歌本、絵本、錦絵なども出版するようになります。 その過程では、多くの人との出会いがありました。例えば、大田南畝(1749~1823)との交流。南畝は、戯作者(小説家)・文人として有名ですが「狂歌会の第一人者」でもありました。重三郎はこの南畝と親交を深めるのです。
重三郎は、戯作者の山東京伝(1761~1816)の書物も多く出版しています。しかし、京伝の著作(洒落本『仕懸文庫』、『錦の裏』、『娼妓絹籭』)が、幕府による風紀取締の摘発を受け、出版した重三郎にもピンチが訪れました。罰金刑を受けたのです。 時は、寛政3年(1791)。老中・松平定信による「寛政の改革」(1787~1793)が行われていた頃でした。 寛政の改革は「享保の改革」(8代将軍・吉宗の時代)、「天保の改革」(老中・水野忠邦が推進)とともに、江戸時代の三大改革と呼ばれています。ちなみに、松平定信の祖父は、徳川吉宗です。定信は、享保の改革を理想として、財政再建・農村復興を目指しますが、その一方で風俗矯正・出版統制を厳しくしました。重三郎はその煽りを受けたといえるでしょう。