「他の日本人より賢く、自由で攻撃的」山本五十六とポーカーをした米海軍要人が「日本脅威論」に傾倒したワケ
日本海軍航空部隊の育ての親として知られる山本五十六。彼が立案した空母機動部隊による1941年12月8日のハワイ真珠湾攻撃の大戦果の陰には、じつは1923年以来の、航空先進国イギリスの英雄的パイロットによるスパイ同然の協力があった。一方、1925~1928年のアメリカ勤務中の山本は、アメリカ海軍の航空戦力の運用に関心を向け、踏み込んだ情報収集に励む。山本の将来の攻撃意図を感じ取ったアメリカ海軍情報局幹部は、日本のスパイ活動を取り締まるようFBIに要請するが……。本稿は、ロナルド・ドラブキン著、辻元よしふみ訳『ラトランド、お前は誰だ? 日本を真珠湾攻撃に導いた男』(河出書房新社)の一部を抜粋・編集したものです。( )内の編集部注はダイヤモンドオンライン編集部によるものです。 【この記事の画像を見る】 ● 山本五十六がラトランドに 明かした英語堪能の理由 「着艦は空母航空において最も危険な部分であることに変わりはないが、今後は許容できるリスクとなるだろう」。 そう述べた山本五十六大佐〔山本は1924年6月当時、外遊から帰って横須賀鎮守府附けで、9月に霞ケ浦航空隊に異動する〕は、「ラトランド氏を含む皆さんの貢献のおかげで、帝国海軍の将来は明確になった」と強調した。 次の戦争は戦艦ではなく、艦から飛び立つ航空機によって行われることになる、現在の飛行機は小さくて遅いかもしれないが、それは段階的に改善されるだろう、それは間違いない、と山本は語った。 「帝国海軍はラトランド氏の協力を得て、この世界的な出来事に重要な影響力を持つことになったのである」(編集部注/ラトランドは、第一次世界大戦におけるイギリス海軍のカリスマ・パイロットの経歴を活かし、1923年以来、イギリスの海軍航空技術を日本に渡していた)。 一同は成功に乾杯した。 山本はラトランドに、ドイツの飛行船を攻撃した第一次世界大戦の時の話を聞いた。それに対してラトランドは、山本がハーバード大学に留学していた時代のことを尋ねた。山本の英語は驚くほど流暢だったから、米国に2年間(編集部注/1919~1921年)しかいなかった、と聞いてラトランドは驚いた。「英語習得の鍵は何ですか」と尋ねると、山本は「ポーカーのおかげですよ」と答えた。 「ポーカーですか?」 「その通りです」と山本は答えた。 「ハーバード大学のクラスメートとポーカーをしましてね。とても基本的な英語をたくさん学んだだけでなく、彼らのお金をすべて巻き上げてやりましたよ。おかげさまで、彼らのお金を使ってアメリカ横断ヒッチハイク旅行をしましてね。ますます多くのことを学んだものです。日本に帰る前にね!」 士官たちは、着艦装置の開発に苦労したラトランドと萱場を讃えて乾杯した。 桑原虎雄(編集部注/日本海軍の主任操縦士として、鎌倉のラトランド宅に通い詰めて技術指導を仰いだ)は、今回の成功に基づいて、海軍が萱場製作所(編集部注/萱場資郎が興した海軍機の着艦装置メーカー。現在のカヤバ)からの注文を増やすだろう、萱場氏も、主な出資者であるラトランド氏も、これで多額の利益を得るだろう、と明言した。ラトランドと萱場は共同で着艦装置に関する特許を申請しており、海軍とのこれらの契約が確実に締結され、会社が拡大することが保証されたのである。