復興は「地方創生への橋渡し」 経験・ノウハウ残すことも“使命” 復興庁・末宗事務次官
「戻りたいけど避難指示区域なので戻れない」、「長く他の地域に暮らして住み慣れたので戻らない」、「戻るか戻らないか迷っている」など被災者によっていろんな意思(や状況)がありますが、少なくとも戻りたい人が戻れるように再生しなければならないという意味ではまだ時間がかかります。
Q:復興庁独自でやられた仕事の成果はいかがでしょうか?
避難者を孤立させないような見守り、農作業や園芸、料理教室などを通して、地域と交流し、生きがいづくりを行うなどのきめ細かい被災者支援事業を行っています。また、産業・なりわい面での支援としては、民間から来られている方々が中心となって実施している地元事業者と大企業をつなぐ事業「結の場」などは復興庁オリジナルの施策です。 また、販路開拓などをハンズオン(手を携えて) で支援したり、専門家を派遣してノウハウを提供したりするような事業も行っており、これらも他の省庁にはない復興庁の特色だと思っています。
Q:今後、どのようにして被災地に人を戻していくのでしょうか?
東日本大震災がなかったとしても、日本全体が人口減少期に入っているため、元の人口に完全に戻ることは難しいです。(そこに住む)人口というよりは、その地域に合った産業・なりわいが確保され、(勤務経験、滞在経験、近親者の所在などでつながりがある)「関係人口」とか(観光で訪れた)「交流人口」という形でいろいろな方が来てくれて、復興の後に街の活力が出てくるようにすることが目指すべき姿なのだと思っています。
一方の原子力災害被災地域は、人が住めるように避難指示を解除していき、被災者支援、まちづくり、産業・なりわいなどへの支援をしっかりやっていきます。(福島県)大熊町、双葉町の福島第1原発の周辺は、(除染で出た汚染土などの)中間貯蔵施設の用地になっています。双葉町では3月4日に発災後、初めて一部地域(浜野・両竹地区)で避難指示が解除され、ようやく人が住めるようになりますが、その他の場所はまだ先です。 いつも双葉町長と会うと、「まだ我々はスタートラインに立っていないんだからそれをちゃんと認識してほしい。これからなんだから。先に復興している市町村もあるけど、このことを忘れないように」とくぎを刺されます。 地震・津波被災地域の方は自然災害だけど、原子力災害は東京電力が責任者ですが、国策として原子力政策を進めてきたので、国が最後まで責任をもって前面に立って取り組むというスタンスでいます。