「太り過ぎやん!」格闘家・石井慧がパリ五輪柔道代表「斉藤立」に喝 恩師の息子にあえてNGを出した背景とは
後輩の動画に登場して
会社や組織で何か意見をする際、「正しいことを言う時は控えめに」という格言がある。たとえ正論でも、相手の立場や心情を思いやり、言葉には気を付けたほうが後々のことを考えるとよい、というもの。特に上司や先輩が関わってくる場合はなおさらである。しかし、この男はつねにド直球の正論しかないようだ。 【写真を見る】石井がダメ出しした、パリ五輪での斉藤立の戦いぶり
「練習量が足らんのじゃないかな。たぶん、怒る人がいないんじゃない?」 「(190センチ、165キロを)太り過ぎやん!」 「ヘラヘラしたらダメだ。ピースしたら」 「歯に衣着せぬ物言い」とはまさにこのことだろう。08年北京五輪の柔道男子100キロ超級金メダリストで、格闘家の石井慧(37)が吠えた。その相手は、パリ五輪日本代表の斉藤立(22=100キロ超級)。言わずもがな立の父親は1984年ロサンゼルス、88年ソウル五輪を連覇した故・斉藤仁氏(享年54)。パリ五輪では日本柔道初となる親子2代での金メダル獲得を目指していた。さらにいえば、石井にとって仁氏は、国士舘大学時代の師匠であり、立は大学の後輩でもある。 五輪後、ウルフ・アロン(28=100キロ級)とのコミカルなやり取りがウケていた立だが、重量級の二人は金メダルが期待されていたものの、結果は混合団体での銀メダルのみ。特に斉藤は、準決勝でキム(韓国)に一本負け。3位決定戦もユスポフ(ウズベキスタン)に一本負け。混合団体では2回戦でシェラザジシビリ(スペイン)にポイント負け。決勝と決勝・代表戦では、共にリネール(フランス)に一本負け。2日間でわずか2勝。その後5連敗でパリの畳を去った。 「メダルがかかった3位決定戦で、ユスポフに腕ひしぎ十字固めを極められて“参った”をしたのは痛恨の極みでした。団体のスペイン戦では1階級下のシェラザジシビリにまさかの敗戦。チームは初戦敗退の窮地に追い込まれました(スポーツ紙の五輪担当記者) 男子柔道チームを率いたのは、仁氏の愛弟子でもある、04年のアテネ五輪・男子100キロ超級金メダリストの鈴木桂治氏(44)。母校・国士舘大学の総監督として、今年3月に同大学を卒業した立を指導していた。鈴木氏は五輪終了後、惨敗を喫した立の戦いぶりについて、特に言及したり苦言を呈したりすることはなかった。 「父親が師匠で、その息子が弟子……文句のつけようもないほど強い選手ならいいですが、鈴木監督はかなり複雑な立場です。28年のロス五輪まで監督を続投し、立もメダル獲得を目指すことになりますが、仁氏を始め日本の最重量級の五輪代表選手たちは『負ければメディアにたたかれる』という厳しいプレッシャーの中で戦い続け、金メダルを獲得してきました。立選手はこのままでは“ぬるま湯”に浸かったままになる。リネールも次回大会を目指すことを宣言していますし、新たな強豪も現れるでしょう。これでは、ロスでもメダル獲得は難しいのでは」(全柔連関係者) 石井といえば、北京五輪で金メダル獲得後、「オリンピックのプレッシャーなんて斉藤先生のプレッシャーに比べたら、屁の突っ張りにもなりません」と発言し、新語・流行語大候補にノミネートされた。その石井が堂々と立へ物申したのは、国士舘大の後輩で、柔道の発展・普及のためにYouTuberとして活動するドンマイ川端(33)が、8月22日にアップした動画だった。 ここで川端の経歴を紹介しておくと、広島の名門・近大福山高から国士舘大に進学。4年の時には講道館杯の男子60キロ級で当時高校3年生だった高藤直寿(31=21年東京五輪・男子60キロ級金メダリスト)を破って優勝を飾った。その際のインタビューで「顔がベスト16みたいな顔なんで、柔道だけは何としても優勝したかったです」と発言して周囲の笑いを誘うなど、愛らしいキャラで知られる。実業団では国内の大会で結果を残したが、19年11月末に所属企業を退社してYouTuberデビュー。登録者数は35万人に迫り、昨年5月にはその知名度もあって、敗戦を喫したものの、1分間最強を決める格闘技イベント「Breaking Down」にも出場している。 「2年前の8月にアップした動画では、鈴木監督と石井が15年ぶりに対談し、酒を酌み交わしています。当時、2人の不仲説が流れていただけに信じられない光景でしたが、ドンマイの人柄があったからこそ実現したのでしょう」(先の記者)