75歳を過ぎたら「一つくらい病気持ち」が案外いい。90歳の現役医師が説く「病気の有無より気にすべきこと」
長年、老年医学の研究を続けてきた現役の超高齢者である私自身が、90歳になってたどり着いたのが「たいていのことはほったらかしでいい」という考えだ。人生はあれこれ考えたところで、なるようにしかならない。とくに75歳を過ぎたらもう、細かいことは考えず、自由気ままに生きればいいのだ。 ■具体的にはどう向き合う? では実際に、「ほったらかしの精神」で、衰えていく体とどう向き合っていけばいいのだろうか。 一般的に、日本の医療では、病気に対して治療を行う。肺が悪ければ肺の薬、心臓が悪ければ心臓の薬、血圧が高ければ血圧の薬、というように、一つの病気、一つの臓器に対して薬を使い、治療を行う。
しかし、高齢になればすべての臓器が衰える。それぞれの臓器はそれだけで独立して働いているわけではなく、関連し合っているため、どこか一つに衰えや障害が生じると、連鎖反応のようにほかの機能も低下してしまうということが起こる。 高齢になるといくつもの病気を併せ持つようになり、「あっちもこっちもガタが来て困る」などと思うのはそのせいだ。全身で衰えていくのだから、どこか一つの病気を治せば済むという問題ではない。
だから、高齢者は若いころのように、一つ一つの臓器ごと、病気ごとに考えるのではなく、トータルケアとして全身をみることが大事だ。「病気を診て、人を診ず」であってはいけないのだ。 ■「病気の一つや二つ」は強がりではない 私自身も糖尿病や前立腺の病気があり、定期的に病院に通っている。でも、それで悲観的な気持ちになることはないし、「年をとれば病気の一つや二つ、あって当然」と思っている。強がりではない。 それは、病気があっても、痛い、苦しい、つらいなどQOL(生活の質)を低下させるような症状がなく、日常生活を送る上で困らない程度に体も機能しているからだと思っている。歩ける、話せる、聞ける、食べられるといったことができているのだから、病気を気にする必要はないのだ。