阿川佐和子「揺れる古稀」
阿川佐和子さんが『婦人公論』で好評連載中のエッセイ「見上げれば三日月」。七十歳を超えるとゴルフボールの飛距離が縮むと聞き、むしろ伸びたねと言われる事が目標の一つとなった古希の阿川さんですが――。 ※本記事は『婦人公論』2024年8月号に掲載されたものです * * * * * * * 男性ゴルファーの多くが、申し合わせたかのように「七十歳を超えるとたちまち飛距離が縮む」とおっしゃる。 「昔はあの松の先まで軽く飛ばすことができたけれど、すっかり飛ばなくなった」 「あの池は二打目で軽々越えたのに、七十を過ぎたら、三打目でやっと越えられるぐらいだよ」 哀愁に満ちたその声を聞くたびに、へえ、そういうものかとまったくもって他人事として聞き流していたが、気づいてみれば私も古稀。そこで私は決意した。老後の目標の一つとして、「七十歳を超えて飛距離が伸びたね!」と言われるようになろう! しかし、実際にその目標を実現できるかどうかは怪しい。というか、よくわからない。 その日の調子や天候にも左右される。ゴルフ場それぞれの難易度も異なる。季節によって芝の具合が違ううえ、下り坂でコロコロ転がってくれると一気に距離は伸びた気がするが、これを実力と言ってよいものか。 一緒に回ったメンバーの、「アガワさん、飛んでますよ!」というお世辞のおかげで飛んだ気がするときもあれば、「前に比べて飛ばなくなったねえ」とグサリと言われて落ち込むこともある。 距離を測る計器がある(私は持っていないけれどね)とはいえ、それも当てになるのかならぬのか。コンスタントに自分がどれぐらい飛ばせるかは、案外わからないのである。まして飛ばない理由が歳のせいかどうかを判断するのははなはだ難しい。
歳を取ったことをはっきり自覚するのは、いったいどういうときだろう。 たとえば睡眠。若い頃は「すぐ寝るアガワ」で名を馳せていた。 女友達と二人で地方の旅館に泊まり床を並べたとき、部屋の電気を消し、互いに天井を見つめながら語り合った。たわいもない話をするうちに、友達が失恋話を始めた……らしい。 語り始めたことは覚えているが、どうやら私は途中で夢の世界へ突入したようだ。朝、目覚めると、隣の友が問いかけてきた。 「よく眠れた?」 「うーん、どうかなあ」 「いいえ、たっぷり寝ていらっしゃいました!私が真剣に恋の話をしていたのに、スウスウ寝息立ててたもん。今後いっさい、あなたに恋の話はいたしません!」 以来、数十年の付き合いになるダンフミは、私に恋愛の悩みを打ち明けてきたことがない。