阿川佐和子「揺れる古稀」
それほどに寝つきのいい私であった。寝ているところを電話でたたき起こされたとしても、そのあと睡眠のリズムを崩される心配もいっさいなかった。 ところが最近は、どうも寝つきが悪い。ことにゴルフの前夜や、早朝の新幹線に乗らなければならないときなどは、期待と不安が入り交じり、なかなか眠りにつくことができない。 そろそろ朝かと思って時計を見ると、まだ二時、そして三時、四時。一時間刻みで覚醒してしまう。あるいは夜中に一度は尿意に目を覚ます。 これが歳を取ったということか。 とはいえ、睡眠時間自体は決して少なくない。だいたい夜の十二時前に床について、朝早く出かける用事がないかぎり八時までは寝ているのが常である。同世代の友達が、 「最近、朝早くに目が覚めるようになって、歳取ったのかしらって思うわよ」 そう話しているのを聞くたびに、「まだ私は若いのか?」と秘かにほくそ笑むのである。
最も如実に歳を思い知らされるのは、昔の写真を見た瞬間かもしれない。 気楽に撮影してきた写真がスマホに保存されている。この二十年あまりでその数は数千枚ほどにたまった。 「昔、千葉で一緒にゴルフしたのって、何年前だっけ?たしか写真撮ったよね」 そう言いながらスマホをクリクリ検索していくと、ああ、出てきた出てきた。 「わっかーい、あたし」 「やだ、髪の毛もふさふさー」 友と顔を寄せ合いスマホを覗き、懐かしみつつ、がっかりする。 ちなみに人は自分の顔しか見ないものだ。隣の人が目をつむっていようが、よそを向いていようが、自分の顔の写りさえよければ、「うん、よく撮れてる」と満足し、どれほど他人に「いい写真ねえ」と言われても、自分の顔が気に入らないと、決して満足できないのである。 そう、最近、過去の写真を見るたびに落胆する。ほんの数年前だというのに、私って、まだこんなにピチピチしていたのね。 首のあたりが今ほどクシャクシャじゃない。手の甲がシワシワになっていない。そんな現実を突きつけられるとたちまち老化を実感するのである。 そして数年後、たっぷり落胆した頃に撮った写真を見返して、「あの頃は今よりだいぶマシだった」と、さらに落胆の度合いは増すことになる。