妻が語る『はだしのゲン』作者・中沢啓治。母の死をきっかけに「子どもの時に見た被爆の惨状や実相を鮮明に覚えている今しか描く時はない」と覚悟を決めて
◆漫画を描いている時が一番楽しかった、と 夫が亡くなったのは73歳の時。結婚当初からあまり体調はよくなかった。糖尿病を患っていたし、胃腸も弱く、晩年はがんも患い、最終的には間質性肺炎で亡くなりました。でも、好きなこと、やりたいことを貫いた人生だったと思います。 晩年、「何をしている時が一番楽しかった?」と聞いたら、「漫画を描いている時」と。本当に幸せな人生だったと思います。 2013年度から、広島市の教育委員会が平和教育の副教材として、『はだしのゲン』の一部を使ってくださっていたんです。ところが昨年、それが削除されました。教育委員会からはなんの連絡もなかったので、『中国新聞』の記者から「どう思いますか?」と聞かれて、初めて知ったんです。 数年前にも、島根県松江市や大阪府泉佐野市の教育委員会で、「描写が過激」だとして学校に『はだしのゲン』の閲覧制限を要請したり蔵書を回収する動きがありましたが、どちらも市民からの批判を受けて取りやめたようです。 広島市教育委員会の件は残念ですが、多くのマスコミがそのことを取り上げてくださったので、また読んでみようという方が増えたみたいですね。 そういえば先日、ある方から、「家に『はだしのゲン』を全巻置いておいたら、7歳の子どもがいつの間にか手に取って読んでいた」と聞きました。夫は、「誰かから読みなさいと言われるのではなく、子どもたちが自分から読んでくれるのが一番うれしい」と言っていました。だから、心から喜んでいることでしょう。 来年、広島は被爆から80年を迎えます。ゲンが読者の皆さんの心の中で生き続けて、平和の大事さを世界に広めていってくれたら、夫も本望だと思います。
中沢ミサヨ