突然母が別人になった(9)自分で車を運転して元気いっぱいに出かけていた母が…
レビー小体型認知症であるとわかって数日後、母がA病院に救急搬送されたとの電話がかかってきた。熱中症で倒れたのだという。 翌日、東京から熊本に駆けつけるも、コロナ禍の真っ最中で、母に会うことはできなかった。東京の人は病院に立ち入ることすらできないと拒まれ、裏口で入院手続きを済ませた。救急搬送や入院を恥と捉えている父は激怒しており、私は泊まることなく、振り切るように東京に帰ってくるしかなかった。 10日あまり経った頃、A救急病院から連絡があった。 「もううちの病院でできる治療はなくなった。お盆の前に退院してほしい。具体的には明日」 「えええっ! 明日ですか!」と電話口で私はすっとんきょうな声を出してしまった。急に明日退院してくれと言われるのは当たり前なのだろうか。ましてや母は認知症でセルフネグレクト状態だったと診断された身だ。 もらった入院診療計画書には「在宅復帰支援担当者」の名前が明記してある。在宅復帰支援はないの? 救急搬送された際、母がレビー小体型認知症であろうと診断され専門医院での診察予約ができる日を待っていること、ひとりではとうてい生活できそうになく同居の父は助けになりそうにないことなどを説明しておいたのだけれど、結局、この在宅復帰支援担当者は、最後まで私になんらコンタクトを取ってくれることはなかった。 さらに、退院の際に看護師が、母の実際の様子はそうでなかったにもかかわらず「跳んで歩くほどお元気ですよ」と発言。加えて、後日送られてきた請求書が非常に高額で、A救急病院にはすっかり不信感を抱いてしまった。 しかし、これらを超えてショックを受けたことがあった。請求書に書かれた「オムツ代」という言葉だ。車を走らせ、元気いっぱいにパークゴルフに出かけていた頃の母親とこの言葉とのギャップが激しすぎて、私は何かに傷つけられたような複雑な気持ちになった。今起こっている現実を納得するまでには、もう少し時間がかかりそうだ。 もうひとつ問題が生じた。父から、ずっと具合が悪くて寝ており、猫に餌をあげる時だけなんとか起きているとメールが来たのだ。しかし、病院に行くことも往診も恥だと言って拒否するので、遠くにいる私は何もできないのだった。 (つづく) ▽如月サラ エッセイスト。東京で猫5匹と暮らす。認知症の熊本の母親を遠距離介護中。著書に父親の孤独死の顛末をつづった「父がひとりで死んでいた」。