悪夢の歴史…日本代表、背番号10の系譜(2)まさか…衝撃の落選劇! そして滑り込んだのは
日本代表は初出場となった1998年のフランスワールドカップから連続でワールドカップ本大会に出場している。背番号10を背負った選手たちは、大舞台でどのような活躍を見せたのか。今回は18年ロシア大会までのワールドカップで10番を背負った日本代表選手を大会ごとに紹介する。※所属チームは大会前時点、年齢は初戦時点のもの。
日韓W杯
背番号10:中山雅史(ジュビロ磐田) 生年月日:1967年9月23日(34歳) 個人成績:1試合出場/0得点0アシスト 戦績:ベスト16 日本代表のエースとして「ドーハの悲劇」と「ジョホールバルの歓喜」を経験した中山雅史は、背番号9を背負って出場したフランス大会で日本代表のワールドカップ初得点を決めた。所属するジュビロ磐田では1998年と2000年に得点王となり、30代を迎えても衰えは見せず。しかし、ワールドカップイヤーの02年は不調が続き、本大会直前の欧州遠征ではメンバーから外れてしまった。 2大会連続の出場は絶望的と思われていた中で、中山は23人のメンバーに滑り込んだ。名波に代わって日本代表の主力に成長していた中村俊輔が落選したこともあり、中山が10番を背負うことになった。 3試合すべてに先発したフランス大会とは対照的に、中山に与えられたのは控えという立場だった。それでも中山は中田英寿や小野伸二ら20代前半が多いメンバーをピッチ内外で盛り立て、自身に課せられた役割を全うした。 中山や秋田豊らベテランのサポートも実を結び、日本代表は自国開催でのしかかるプレッシャーを跳ね返して躍進した。鈴木隆行の「つま先ゴール」と稲本潤一のゴールでベルギーを相手にワールドカップ初の勝ち点をもぎ取ると、続くロシア戦でも稲本にゴールが生まれる。すると、中山の出番はこの試合の72分に回ってきた。中山はイエローカードをもらいながらも前線から激しい守備でチームに貢献した。日本代表は虎の子の1点を守り抜き、ワールドカップ初勝利をゲット。中山は4年越しの初勝利をピッチで迎えることができた。 日本代表はチュニジアに2-0で勝利してノックアウトステージに進出したが、ラウンド16ではトルコに敗れてベスト16で敗退。中山の出場はロシア戦の18分のみだった。それでも、控えという立場からチームを支えた34歳の背番号10は、歴史を塗り替えた日本代表を影から支えた。
フットボールチャンネル