小倉孝保『プーチンに勝った主婦 マリーナ・リトビネンコの闘いの記録』(集英社新書)を青木 理さんが読む(レビュー)
ロシアがみせた「治安機関が肥大化した国家の危うさ」は決して他人事ではない
本書の著者は、当代最も注目すべき新聞記者である。毎日新聞の論説記者として国際情勢に関する社説やコラムを執筆する一方、読み応えあるノンフィクション作品を続々と世に放ち、扱うテーマも驚くほど幅広い。風俗、死刑、医療問題から中東や欧州等の特派員経験に基づく国際分野にまでそれは至り、しかももともと社会部の記者だったからだろう、目線は常に低く確固に保たれている。 だから読み物として秀逸であり、同時に各テーマの背後に横たわる時代状況や課題も鮮やかに浮かびあがる。ロシア・プーチン政権による政敵暗殺事件に材を取り、それに抗(あらが)った女性を描いた本作も例外ではない。まずは読者として読み応えある作品世界に没頭しつつ、評者としての私が見るところ、本作から読み取るべき重要なメッセージはさしあたって二つほどある。 まずは作中の一文、「人類の歩みは、国家や組織に対し、個人がいかに正義を貫き通すかの歴史であった」。ではなぜ本作の主人公たる「主婦」=マリーナはそれを貫徹できたのか。彼女自身の「鋼のような意思」に加え、「プロボノ」で動いた人びとの存在を著者は描く。「公益のために」を意味するラテン語に由来するというその志を地道に実践する者たちがいたからこそ、マリーナは闘い続けることができた。 そして本作は記す。「バケツがなければコップで、コップがなければティースプーンで火に水をかけるのだ。こうした行動には、必ずや支援者が現れる」のだと。「正義を求める個人の意思がいかに力を持ち得るか。マリーナの挑戦はそれを示した」のだと。 もう一点、これは評者の取材テーマに重なるが、治安機関とか情報機関といったものをどう捉えるか。古今東西の国々が擁する“必要悪”ではあれ、それが極度に肥大化した社会は、政治体制の左右等を問わず暗黒に覆われる。プーチンのロシアが侵略戦争という暴挙に出た遠因でもあり、それが決して他人事ではないこともまた、本作が語りかけてくる重要メッセージだと私は読んだ。国家と組織と個人と、正義と自由と人間存在の根源と、読みどころに溢れた秀作である。 青木 理 あおき・おさむ●ジャーナリスト [レビュアー]青木理(ジャーナリスト) 1966年長野県生まれ。ジャーナリスト。90年に慶応義塾大学卒業後、共同通信社入社。社会部、外信部、ソウル特派員などを経て、2006年よりフリーとして活動。 協力:集英社 青春と読書 Book Bang編集部 新潮社
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