「お母さんの服を着てたら一緒にいるような感じ」能登半島地震で家族を失った13歳、夢は母と同じ仕事に就くこと 寂しさを抱えながら歩んだ1年
能登半島地震から1年が経ちました。いまも多くの爪痕が残る被災地で暮らす人たちを取材しました。 【夢洲から出られない可能性も】もし万博期間中に南海トラフ地震が起きたらどうする?【newsおかえり特集】
■「お母さんのことは毎日思い出す」大切な家族が犠牲に…震災遺児のいま
「長かったようで、感覚としては短い1年だった」 あの日の地震で母親と祖母を亡くした林 娃月(はやし あづき)さん(13)。能登には、娃月さんのように震災で親を亡くした子どもたちが少なくとも10人いることがわかっています。 (娃月さん)「(Q.着ている服は?)お母さんの服です。お母さんの服を着てたら一緒にいるような感じがする。もちろん今でもお母さんのことは毎日思い出す」 いまは輪島市内で父親の克彦さんと兄の3人暮らし。母親を失った寂しさに押し潰されそうになる日もありましたが、ある出会いが娃月さんの心を突き動かします。
■親を亡くした子どもたちに寄り添う支援団体
災害などで親を亡くした子どもたちの心のケアや教育支援などを行う民間団体の「あしなが育英会」。娃月さんはそのサポートを受けながら、いま徐々に歩みを進めています。 (娃月さん)「(受け取ったクリスマスプレゼントを見ながら)かわいい。これ持ってる」 (あしなが育英会・寺岡さん)「足を温めるやつだよね?」 (娃月さん)「普通にクッションとして使ってる。すごい人形いっぱいや」
(娃月さん)「『あしなが』に出会うまでは孤独を感じたりとか少しあったけど、いろんな子と出会って安心できる」 (父・克彦さん)「やっぱり心が折れそうになることはいっぱいあって、そういったときに外から来てくれた人が助けてくれることがすごく救われるというか、それによってもう一度頑張れるようになるんですけど、それが何回も続いてなんとか今までやってこられてる」 娃月さんの夢は、母と同じ医療関係の仕事に就くこと。その背中をしっかりと見つめています。 (娃月さん)「私が前向きに生きることで、お母さんと一緒に生きていけるような気がするので、ずっと悲しんでるんじゃなくて前向きにこれからも生きていって、お母さんの分まで楽しく生きていけたらなと思います」