弓道三昧だった男性が左脚切断で諦めかけたが…車いすで弓構える女子高生に希望、大会出場果たす
医療事故で2年前に左脚を切断した山口県光市の矢後雍信さん(83)が、義足をつけて車いすに乗り、60年以上前に始めた弓道に打ち込んでいる。両足で踏ん張れず、車いすで利用できる施設が限られるといったハンデを抱えながらも、健常者に交じって大会にも積極的に出場。「障害があっても弓道を楽しめることを多くの人に知ってほしい」と稽古に励んでいる。(内田詩乃)
ギーッ、シュッ、パスッ――。静まり返った弓道場に、弓を引いて矢を放つ音が響く。5月15日、山口市の弓道場で行われた全国健康福祉祭(ねんりんピック)の県予選。はかま姿の出場者たちが両足を肩幅ほどに開いて立ち、次々に矢を放つ中、車いすに座って弓を構える矢後さんの姿があった。計8本の矢を放ち、3本が的中。目標の4本には一歩届かず、上位進出を逃した。「ちょっと力みすぎたかな」とはにかんだ。
矢後さんは父親の影響で中学3年の時に弓道を始めた。進学した大学には弓道部がなく、製薬会社に就職した後も多忙を極めたため、しばらく弓から離れた。役職を退いた59歳の頃から時間の余裕ができ、毎日のように弓道場に通い始めた。
68歳で教士六段に昇格し、光市弓道連盟の会長や県弓道連盟の理事を務めた。2011年の山口国体では、弓道競技の準備委員長として会場設営などを担った。「ほとんどの時間を弓道に費やし、頭の中は、弓、弓、弓。幸せな日々だった」
血栓症で左膝から下を失う
だが、充実した日々は突然奪われた。22年2月、接種した医薬品の影響で血小板減少症を伴う血栓症を発症。両脚が腫れるなどし、激痛に襲われた。右脚の血栓は手術で取り除けたものの、左足先は壊死が進み、左膝から下を切断せざるを得なかった。「あなたの左脚、火葬してきたわよ」。妻の正子さん(75)の言葉で脚を失ったことを実感した。
「もう二度と弓を引けないだろう」と諦めかけたが、かつて目にした全日本弓道連盟の広報誌を思い出した。03年に発行されたその冊子では、車いすに座って弓を構える女子高校生の姿が表紙を飾っていた。生徒は国体少年女子の部に出場し、60メートル先の的を狙う遠的で優勝。その活躍に改めて驚かされ、「やっぱり弓を引きたい」との思いが膨らんだ。