若者好みのカスタムパーツを装備し、ビッグスクーターブームを牽引したフュージョンType X
ビッグスクーターブームによって起こった奇跡の再生産
フュージョンが生産中止になる少し前、1995年にヤマハから1台の新型250ccクラススクーターが発売された。「マジェスティ」と名付けられたそのスクーターは、それまでのメインユーザーである「おじさん」だけではなく、若者にも受け入れられ翌1996年には250ccクラスの登録台数トップを記録した。マジェスティは好調な売り上げを続け、若者によってバーハンドル化などのカスタムが施されるようになる。1999年に第二世代となる5GM系が発売されると、他メーカーを巻き込んだスクーターブームへと発展した。 ホンダからは1997年にフュージョンの後継にあたるフォーサイトが発売されたが、マジェスティの牙城を崩すことはできず、2000年にフォルツァを発売してやっとスクーターブームに乗ることに成功した。ただ、スクーターブームの中で、ホンダのスクーターが注目されていないという訳では無かった。若者たちは人とは違うカスタムバイクを作ろうと必死になっており、その結果として一部のユーザーが注目したのが当時格安で販売されていた中古のフュージョンだった。カスタムベースとしてのフュージョンはスクーターブームを牽引する存在となり、その結果としてホンダは2003年にフュージョンの再生産を決定したのである。
バリエーションの拡大で、さらなるファンを獲得
フュージョンがそれ以前の250ccスクーターと大きく違っていたのは、そのスタイリングである。フュージョン以前の250ccクラススクーターは実用一点張りであり、車で言えばライトバンのような商用車をイメージさせる立場にあった。実際のユーザーもビジネスユーザーが多く、リアに大きなボックスを付けるような使い方が一般的であった。 それに対してフュージョンは、ロングホイールベースの車体にゆったりと二人乗りできるシートを持ち、当時四輪車で流行が始まっていたデジタルメーターを装備するなど四輪車で言うところのハイソカー(※1980年頃にソアラやレジェンドなど高級志向の車がそう呼ばれた)的な仕上がり。シアシートの下には純正オプションのヘルメットであれは2個入る大型のトランクが設けられており、積載製に関しても先進的な装備が与えられていた。デザインも「金田のバイク」とまでは行かないまでもスポーティかつ未来的なイメージでまとめられており、当時のスクーターとしては抜群に格好が良かった。 フュージョンは「Helix」として輸出され、海外でも成功したモデルであった。国内での再生産後は、今回の撮影車であるType Xをラインナップ。これはユーザーのニーズ合わせてショートスクリーンや剥き出しのパイプハンドルを装備し、カラーオーダーなども設定されたモデルだ。2004年にはボディと同色のアンダーカウルや専用シートを備えたType XXが加わり、1996年に設定された上級グレードとなるSEも2006年から復活している。