<調査報道の可能性と限界>第7回 米国ではNPOが次々誕生 調査報道の未来は?
日本でも調査報道NPOは根付くのか?
日本でも将来、調査報道NPOが発達するでしょうか。 遠い将来はともかく、数年先を考えた場合、その可能性は極めて低いでしょう。日本でも、最近は「iAsia」などの調査報道NPOが誕生していますが、欧米と違って日本には寄付文化が根付いていない上、税控除制も不十分です。資金の多くを寄付に頼る非営利組織は、資金集めに相当の苦労を強いられるでしょう。 プロパブリカが影響力を拡大した背景には、このNPOが記事を有力新聞や雑誌に「配信」し、各メディアが積極的にその記事を掲載している事情もあります。いわば、プロパブリカは「通信社」としての機能も持っているわけです。 ところが、日本の新聞では、ニュース面にニュースを書くのは、自社記者です。地方紙が使う通信社も「共同通信」「時事通信」などに限られています。ニュース面を他者に開放する習慣はほとんどありません。 日本の伝統的メディアは終身雇用と年功序列が今も色濃く残っており、記者がメディア企業を渡り歩く例も多くないのが実情です。「A新聞では調査報道ができないから、調査報道NPOに移ろう」という決断は、給与水準などもネックとなって簡単には進まないでしょう。
権力をチェックする「番犬」として
報道は本来、政府などの権力に対する国民の側のwatchdog(番犬)として機能すべきだ言われます。権力は常に、自らにとって不都合な情報を隠し、都合の良い情報を積極的に流したいという欲求を伴っています。 そうした中で、監視の目が衰えてしまえば、権力は腐敗し、暴走してしまう危険を常に孕んでいます。実際、戦前のナチス・ドイツや日本、戦後の旧ソ連や北朝鮮、途上国の軍事独裁国家を引き合いに出すまでもなく、監視機能と言論の自由を失った社会がどのようになってしまうかは、過去の歴史が証明していると言えるでしょう。 権力チェックの役割は報道だけが負っているわけではありません。しかし、自由な取材活動や言論の自由をベースにした調査報道は、今も将来も大きな役割を負っています。調査報道の主たる担い手が大メディアからNPOなどに移り変わったとしても、調査報道そのものが消えてしまうと、その社会は不幸な結果になるでしょう。