首里城の火災から5年~正殿の屋根瓦もお目見え、復元への力強き歩み
集まった復興基金
あれから5年、今、首里城では再建に向けた復元工事が順調に進んでいる。火災を受けて、国は迅速に、首里城復活へ乗り出した。総工費は120億円。同時に、沖縄県では「首里城復興基金」をスタートした。火災の翌月から2年5か月の間に、沖縄県内、県外、さらに海外からも沢山の寄付金が集まり、総額は55億4,000万円を超えた。今回の火災を、いかに多くの人たちが悲しんだかの表れだった。その基金は、主に正殿を復元する沖縄県産の木材の費用に使われる。
いよいよ赤瓦も登場
その木材を使って、新しい姿を見せ始めた首里城の正殿では、屋根廻りの細工も終わった。14万枚を超える瓦板を、職人たちが1枚1枚、丁寧に打ち付けていった。夏には、県内の工場で「クチャ」という泥岩や赤土を使って焼かれた赤瓦が運び込まれて、6万枚を葺く作業が続いている。年内には、この瓦葺きも終わり予定で、正殿は新しい朱色の姿を見せることになる。
「見せる復興」の歩み
今回、首里城は再建への歩みを「見せる復興」と名づけて公開してきた。首里城がよみがえる様子を、常に多くの人に見てもらおうという、画期的な取り組みだった。城のメインの入り口である「奉神門(ほうしんもん)」から、全長140メートルの見学デッキが作られて、訪れた人たちは、作業の様子を見ることができる。現場の様子や再建への歩みを紹介する有料ツアーも行われている。首里城が力強く復活する姿を見てもらうことで、琉球の歴史や文化を再認識してもらいたいという思い、それは見学した側の心にもしっかりと残った。新たな首里城には、これまでなかったスプリンクラーも完備され、悲劇を二度と繰り返さない対策も取られる。
思わぬ"副産物"も…
火災をきっかけに、首里城ではもうひとつ、注目されたものがある。それは「地下壕」、太平洋戦争当時の「第32軍司令部」の跡で、総延長は1キロメートルと推定される。戦時中は、ここに軍の作戦室や無線室、兵士たちの宿舎もあった。沖縄県が調査に入って、再建される首里城が公開されるタイミングで、この「地下壕」も公開できないか、県による検討が続いている。実現すれば、「ひめゆりの塔」や「摩文仁の丘」などと共に、貴重な歴史を伝える場所となるだろう。 再建される首里城の公開は、2年後の2026年秋の予定である。それを待つ那覇界隈では、11月に今年も復興祭が開催されて、琉球王朝を偲ぶ古式ゆかしい行列が繰り広げられる。その賑わいは、近づく首里城の復活へ何よりの前奏曲になりそうである。 【東西南北論説風(533) by CBCマガジン専属ライター・北辻利寿】
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