分からないからおもしろい!歴史好きのきっかけは“美しさ”、伸ばすポイントは“妄想力”!?【お城好き気象予報士・久保井朝美さんにインタビュー】
前回に続き、気象予報士として大活躍中の久保井朝美さんのインタビューをお届けします。気象予報士として大活躍している久保井さんの“もう一つ”の顔、お城マニア!好きが高じて、今年の2月には自身の初の著書『城好き気象予報士とめぐる名城37 天気が変えた戦国・近世の城』を出版。そんな久保井さんが歴史人Kidsの皆さんに『推したいお城TOP3』を聞いてみました! ― 久保井さんが「推したいお城TOP3」というランキングを作るとすると、どこですか? 難しいですよね~!! 名古屋城の近くで生まれて、岡崎城の側で育ったということからその2つは殿堂入りさせておきますね!笑 まず、松本城!江戸時代以前から残る、現存天守です。国宝にもなっていますし、天守が大きく美しくて、初心者さんにもオススメしやすいお城です。 現存している天守、実は一度に建てられたわけではなく、大天守などは戦国時代に、月見櫓は江戸時代になって三代将軍・徳川家光が来るということになり増築されたといわれています。 建てられた時代は異なりますが、全てが調和していて外観は一体感があります。 でも、中に入ってみると戦国時代と江戸時代の建物で造りが全く違うんですよ! 「戦い」と「平和」、2つの顔を持つお城です。 戦国時代に建てられた大天守などは、戦いに備えることが第一でした。 だから、外から攻めてくる敵を攻撃するための狭間(さま)や石落とし、武者窓(むしゃまど)などがあります。 外から攻撃されづらくするために、光を最低限しか取り入れないような造りです。 一方で、江戸時代に増築された月見櫓は、お月見をするための雅な空間です。 大きな窓を開けると屋外を一望できるようになっています。平和な時代の発想といえるのではないでしょうか。 外から見ると一体感、中に入ると時代の差を感じることができるおもしろさが、松本城の魅力です。 かつては、内堀でスケートができたそうです。現代ではそこまで気温は低くならないので、お城を通して地球温暖化も実感します。 月見櫓で昼間の美しい山々を眺めながら「ここから月を眺めたらどんな気分だろう?」、お堀を見ながら「ここでスケートをしていたのかな~?」と妄想が膨らみます!笑 私は、天守の美しさからお城の虜になりました。 導入は見た目という「点」でしたが、お城にまつわる人物や合戦などのできごと、他のお城とのつながりを知ると、点が線になり、面になり、立体感も出てきます。そうすると、歴史がどんどん楽しくなっていきました。 妄想する力がつけばつくほど、天守など建物がない城跡も楽しめるようになります。 分かっていない場所・事もたくさんありますが、だからこそ『自由に妄想できておもしろい』と思えるようになっていくんですよね! 城跡が魅力的なお城でいえば、山中城(静岡県三島市)! 障子堀のお堀が、まるでベルギーワッフルのように見えます。 山中城は、豊臣秀吉の小田原攻めに備えて、北条氏政が増築をしたお城です。 現在は史跡を保護する目的で芝生が張られていますが、当時は土がむき出しになっていました。この土は、関東ローム層で滑りやすい! ワッフル状になっている堀底は「1回入ったらきっと登れないだろうな」と妄想が膨らみます。 圧倒的な数の豊臣軍に攻められて半日で落城してしまったものの、実際に足を運ぶと、北条氏がいかにここを大切な場所としていたのかが伝わってきます。 「ここには櫓があって、今よりも高い位置からはどんな景色がみえていたのかな?」と想像を膨らませるのも城跡を楽しむ方法の一つです。 ちなみに、山中城では「障子堀ワッフル」が売っています。ゲットして、一緒に記念撮影することで、思い出の場所になりますよ! 興味深い発見があったお城でいうと、鹿児島城! 天守はもともと無いお城ですが、令和2年(2020)に天守に匹敵するほど立派な「御楼門(ごろうもん)」が復元されました。高さと幅が約20メートルもあって、日本最大級の城門です。 特に注目したいポイントは、格子状に見える部分、「なまこ壁」です。 なまこ壁とは、土壁に瓦を並べていき、その継ぎ目に白い漆喰(しっくい)を蒲鉾(かまぼこ)のように盛って作られた壁のことです。 お城好きな私からすると、なまこ壁は石川県の金沢城、新潟県の新発田城など北陸に多く、寒冷地の工夫というイメージがありました。 それなのに『どうして雪がめったに降らない鹿児島城に、この壁が採用されているのか?』疑問を持ち、考察してみました。 台風が関係しているのではないか、というのが私がいたった答えです。 鹿児島県は、日本で一番台風の上陸数が多いところです。北陸の場合は雪や寒さから守るためだったのに対し、鹿児島城は台風の雨や風から守るために採用されたと想像できます。 さらに、古地図をみると当時は現代よりも海に近い位置にお城が所在していたことが分かります。このような立地からは、強い潮風も吹いていたことが想像できます。 ちなみに、「なまこ壁」の名前の由来は、盛り上がった漆喰が海鼠(なまこ)のように見えるからだそうです。 私は最初、『なまこ壁って綺麗だから好き』と思っただけでした。笑 好きをきっかけに、『どうしてなまこ壁って言われるのかな?』など、知りたくなります。さらに、『何のために手間のかかるなまこ壁を作ったのかな?』『なまこ壁があるお城の共通点は何だろう?』と考えるのが楽しいです。お城って、考える力や想像力を伸ばす場所としても役立つかもしれませんね! 疑問を与えられるのではなく、自ら抱いて解決することは大切だと思っています。私の場合、気象予報士なので、鹿児島城のなまこ壁のように「天気」という視点で疑問を抱き、考えることでお城をより深く味わっています。 お城というと、築城された戦国・江戸期を思い浮かべるかもしれません。しかし、鹿児島城の石垣には、無数の弾痕が残っています。これは、1877(明治10)年、西郷隆盛が率いた薩摩の士族と新政府軍が戦った、西南戦争のときの銃撃戦の跡です。 つまり、時代を越えて明治時代の歴史も伝えてくれています。教科書を読むだけでは西南戦争の銃撃戦の様子は分かりかねますが、石垣に残されている弾痕の多さを見ると、いかに激しかったのかを実感しました。刀や弓矢から、鉄砲、大砲へと戦法が変わっていったこともお城で学べます。 お城は時代の変化も実感できる場所で、私自身もお城めぐりをしながら、歴史は“体験してこそ、記憶に刻まれる”ということを感じています。
歴史人Kids編集部