新幹線で絶品寿司…プロレスまで…!客が殺到する驚きの企画が続々
新幹線車両基地も変貌~カメラ数十台で異常検知
一方、東京・品川区にある新幹線のメンテナンスを行う大井車両基地。さまざまな検査を行っていて、多い時は50人近くが作業に当たる。その現場にJR東海社長・丹羽俊介(59)の姿があった。丹羽が輸送以外のビジネスと並び力を入れているのが、先端技術を駆使した作業の効率化だ。 例えばある検査装置は、新幹線が入ってくるとセンサーが検知し、照明が点灯する。数十台のカメラがあらゆる角度から車両を撮影していく。撮った画像を自動解析し、何か異常があれば判る仕組みだ。現在、実用化に向け、検証を繰り返している。 こうした取り組みによって固定費を年間800億円減らすのが目標だ。 「しなやかに立ち直っていける強さを持つ会社にしたい。そのためには社員一人一人が自分で考え、工夫を凝らして新しいことにチャレンジしていくことが必要だし、そういう組織を目指しています」(丹羽)
「冒険しない会社」をコロナが直撃~2万人の変革に挑戦
名古屋にある鉄道技術の進歩を楽しみながら体験できる施設「リニア・鉄道館」。子どもたちにも大人気だ。 この日は楽器を抱えた人たちが集まっていた。そこにはトランペットを手にした丹羽の姿も。 これはJR東海の社員たちが作る音楽クラブ。定期的に演奏会も開いている。中学時代、吹奏楽部でトランペットを始めた丹羽。このクラブでは会長を務め、演奏だけでなく、全体の音にも気を配る。練習の合間には社員に話しかけ、コミュニケーションをとっていた。 「いいですよね。人柄が分かるし、私がどういうことを考えているか分かってもらえて仕事につながるので」(丹羽) 丹羽がJR東海に入社したのは、国鉄民営化から2年後の1989年。JRは7社に分かれたが、東海道新幹線というドル箱路線を持つJR東海は経営的にも盤石だった。新しい挑戦を必要としない「お堅い鉄道会社」となっていった。 しかし、コロナで根本的な見直しを迫られる。 「コロナの前までは、効率的に均質なサービスを提供していこうと。別の市場に目を向けてやってみる余裕がなかった。そういう経営状況になって、ゼロから出発しようと」(丹羽) これまで冒険してこなかった会社を丹羽はどうやって変えたのか。鍵を握るのは社員一人一人の意識。営業や事業担当者を集め、意見を募った。すると、「新幹線を改造してイベントホールにしてしまうのは?」「沿線地域と組んでアイドルを育てられたら面白い」……せきを切ったようにアイデアが出てきた。 参加した社員は、「制約があってできないが、実現できたらいいなとみんな思っていた」「上意下達で決まったことをやってきたのが、今は社員からどんどん新しいアイデア、ビジネスが出てくる」と言う。 窮地から生まれた新たなビジネス。例えばJR東海では毎年、引退する車両が出るが、これまでは解体し、スクラップにしていた。新幹線の塗装は厚く、リサイクルしづらかったのだ。しかし、時間をかけてアルミだけを取り出す技術をグループ会社が開発。スポーツメーカーの「ミズノ」と組んで、バットの商品化にこぎつけた。 今、鉄道の収入はようやくコロナ前の水準に戻りつつある。そして輸送以外でも稼ぐたくましさは今後にも活かされる。