【吉井理人監督×作家・本城雅人氏】有馬記念と思い出の名馬を語る「有馬記念でシルクジャスティスが勝ったらメジャーに行こうと決めていた」
オグリキャップが感動のラストランを飾ってから34年、今年の有馬記念は天皇賞(秋)、ジャパンカップを勝ったドウデュースが「秋の古馬三冠」にチャレンジ。名手・武豊騎手とも交友の深い作家の本城雅人氏と千葉ロッテマリーンズ監督の吉井理人氏の2人が、有馬記念と思い出の名馬について熱く語り合った。【全3回の第1回】 【写真】大観衆が酔ったオグリキャップ“伝説のラストラン”。1997年の有馬記念を制したシルクジャスティスも
本城:オグリキャップが有馬記念を勝った1990年、僕はサンケイスポーツでプロ野球のヤクルト担当でした。有馬の日は選手会ゴルフを取材していました。 吉井:僕はそのゴルフは出てなかったな。 本城:ゴルフ場のテレビで池山隆寛選手と観ながら盛り上がりました。でも当時はネット投票はなかったから、馬券は買っていなかった。 吉井:ちょうどオグリキャップが活躍していた時期、近鉄にオグリビーというメジャー経験のある選手がいたんです。 本城:覚えています。よく打ちましたよね。 吉井:彼、日本語はカタカナだけ読めたんです。スポーツ新聞にやたら「オグリキャップ」と書いてあるから、自分のことかと思って「なんて書いてあるんだ?」って聞くから、「おまえのこととちゃう」って。それが僕の一番のオグリキャップの思い出です(笑)。 本城:オグリキャップは1988年に中央競馬に移籍してきて、重賞を勝ちまくったり、タマモクロスと名勝負を繰り広げたりしたけど、4歳時が特に凄かった。マイルチャンピオンシップとジャパンカップの連闘なんて、いまでは考えられません。 吉井:オグリキャップもすごかったんやろうけど、武騎手はその時にはもうトップ・ジョッキー。いまもその座を保っているんだから本当にすごいですよね。
メジャー行きを決めた運命の日
吉井:実は僕が馬券を買うようになったのは翌年の有馬記念からなんです。 本城:ああ、「これはびっくりダイユウサク!」 吉井:大阪球場にあったウインズ難波で。めっちゃ人が多くて、ブロック塀にのぼって馬券を握りながらモニターを見ていました。 本城:それまで競馬は? 吉井:レースは見ていたけど、馬券は買ったことがなかった。この時はメジロマックイーンが1番人気だったので外せんやろと思って人気のない2頭に流したら……当たったんです! ダイユウサクは14番人気でした。 本城:持ってますね。 吉井:その翌年から有馬記念は毎年中山競馬場へ行くようになりました。現地で池山に会ったり、野茂英雄と一緒に行ったりしたこともあります。 本城:体格のいい野球選手が一緒にいると目立ちますよね? 吉井:みんな競馬新聞ばかり見ているから、誰も気づかない(笑)。 本城:吉井さんは1995年にヤクルトに移籍します。僕はその少し前までヤクルト担当。競馬好きの選手が多かったので、その後、僕が競馬の担当に移ってからも交流は続いていました。で、今度移籍してくる吉井という投手は競馬好きらしいと。 吉井:一緒にゴルフに行ったんですよね。 本城:それが初めてお会いした時。ゴルフの間中、選手たちも競馬の話ばかりしていて(笑)。 吉井:競馬のおかげでチームにすんなり溶け込めました。 本城:移籍した年に10勝してヤクルトは日本一。吉井さんはそれから3年連続二桁勝利、1997年にはまた日本一になりました。 吉井:その年のオフにFA宣言をしたら、国内の5球団から、複数年契約で10何億円というようなありがたいお話をたくさんいただいた。 本城:長嶋監督がポケットマネーで1億円出すとか出さないとか報じられて、誰もが巨人に行くものだなと思っていました。