【吉井理人監督×作家・本城雅人氏】有馬記念と思い出の名馬を語る「有馬記念でシルクジャスティスが勝ったらメジャーに行こうと決めていた」
吉井:僕自身はヤクルトに残留するという選択肢もあって、どうにも決めかねていたんです。 本城:ニューヨーク・メッツに行くと明らかになったのは年末ぎりぎり、びっくりしましたよ。 吉井:有馬記念でシルクジャスティスが勝ったら、メジャーに行こうと決めていたから。 本城:えっ、どういうことですか? 吉井:その年のダービーで2着になってからずっと追いかけていたんですよ。後ろから追い込んでくるレースぶりが好きで、有馬記念でもハマるんちゃうかなと思って。レースは中山競馬場で見ていました。 本城:初めて聞きました。 吉井:ずっともやもやしていたんですが、この有馬記念で、よしメジャーに行こう! って。 本城:長嶋さんは知らないでしょうね、なぜ巨人に来なかったのか(笑)。 吉井:この頃は一口馬主をやっていたんですが、午前中には出資していた馬が9番人気で勝った。しかも適当に買った阪神競馬最終レースもとって、えらく儲かったんです。それまではいつも損して帰っていたのに、こんなに当たってプラスになったのは初めてでした。 本城:それで最低年俸(当時のレートで約2600万円。プラス出来高)でもメジャーに行くと決意したんですね。 吉井:運命の一日やったと思っています。 本城:それでメジャー2年目には12勝、通算で32勝もしているんだからすごい。 吉井:本城さんは記者として有馬記念の予想が的中したことは? 本城:僕はむしろ馬より人を取材するのが好きだったんです。だから、ジョッキーや調教師が1時間も2時間も話してくれたのに印をつけないってことができない。話を聞けば聞くほど当たらなくなって、予想担当から外してもらいました。いまでも馬券は買いますけど、下手ですね。 吉井:話を聞けば聞くほど当たらないって名言ですね。 本城:有馬で感動したのは、1999年のスペシャルウィークとグラスワンダーですね。見ていて鳥肌が立ちました。 吉井:ハナ差のデッドヒートやったもんね。 (第2回へ続く) 【プロフィール】 吉井理人(よしい・まさと)/1965年、和歌山県生まれ。1984年に近鉄入団、1995年のヤクルト移籍後は2度の日本一に貢献。1997年オフにFA権を行使してメジャーリーグのニューヨーク・メッツに移籍。日米通算121勝62セーブの成績を残し、2007年に引退。2022年オフに千葉ロッテマリーンズ監督に就任、2023年シーズンより指揮を執る。馬主としてこれまで6頭の競走馬を所有。 本城雅人(ほんじょう・まさと)/1965年、神奈川県生まれ。スポーツ新聞記者、競馬雑誌デスクを経て、2009年に『ノーバディノウズ』で作家デビュー。2017年、『ミッドナイト・ジャーナル』で吉川英治文学新人賞受賞。2018年、『傍流の記者』で直木賞候補。著書多数。2025年3月には元ジョッキーを題材にしたミステリー『灯火』を出版予定。 ※週刊ポスト2024年12月27日号