人気絶頂でテレビから消えた「松本ハウス」――心の病を経て支え合う芸人コンビの現在地 #病とともに #ザ・ノンフィクション #ydocs
松本ハウスという生き方
キックと加賀谷の「即興漫才」が板に付いてきた頃、キックの家庭に危機が訪れた。妻のアルバイト先が新型コロナの影響で閉鎖されてしまったのだ。 珍しく落ち込んだ様子のキックに話を聞くと、「家計は苦しくなる一方だし、加賀谷との即興漫才にも限界を感じている。何か突破口を見つけたいのだけど…」とのことだった。しかし、やはり芸人を辞めるという考えは微塵もなかった。 キックが思い立ったのは、「結成30周年記念ライブ」の開催。 「コロナ禍の真っただ中に客は来るのか?」「加賀谷は大丈夫なのか?」「そもそも苦しい家計を救える策にもなっていないのでは?」……。不安だらけだったが、「とにかくやるしかない」という思いで開催にこぎ着けた。 案の定、ライブ直前、プレッシャーに押しつぶされそうになった加賀谷は心のバランスを崩してしまい、こんな時のために処方された薬の世話になっていた。 キックも周りのスタッフも、加賀谷をそっと見守りつつも、たまに「大丈夫ですよ」と声を掛けて励ますという独特の間合いで対応していたのは微笑ましかった。 しかし、本番になったらキックも加賀谷も30年のキャリアは伊達ではなかった。久しぶりに見る加賀谷の爆発的なボケとキックの切れ味鋭いツッコミに、観客は大いに沸いた。 その場にいた誰もが、松本ハウスの完全復活を待ち望んでいたのだ。 ライブ成功後もしばらく松本ハウスの取材は続けていた。特に大きな撮れ高のない日々が続いていたのだが、この番組のラストシーンは不意に訪れた。 この日、2人は茨城県の福祉施設のイベントに呼ばれていた。精神疾患のある方々やそのご家族に加賀谷の統合失調症の体験を話す催しで、参加者との質疑応答の時間も設けられた。 「仕事は楽しいですか?」 参加者の若い女性が質問した。 これに対して、加賀谷は自信を持って、まっすぐに答えた。「楽しいです。楽しく過ごしています」。しかし、こうも付け加えた。「でも、キックさんには迷惑掛けてるなって…」。 これに対し、キックはすかさず言葉を添えた。 「そこは僕の中では違うんですよ。“お互いさま”っていう感覚があるんです」 キックから「お互いさま」という言葉を聞いたのは初めてで、このやり取りはとても印象に残った。