「成長期の食事管理はJリーガーより大変だった」料理研究家・黄川田としえ 食で支えた娘はテニスでプロ志望
その後、東京へ引っ越すことになり、幼い子どもを育てながら東京でテレビ制作の仕事をするというのは難しいと感じ、フリーランスで食に関わる仕事をしようと決めました。当時は「食育」という言葉が注目され始め、2005年に食育推進基本法も制定されたこともあって興味を持ち、食育インストラクターの資格を取得。ちょうど長女を妊娠中だったので、食育関連の仕事であれば子どもを連れて仕事もできるから続けやすいのでは、と考えました。
── 食育インストラクターとしてどんな活動をされていたのですか? 黄川田さん:地域の子どもや保育園仲間の親子向けに、収穫体験をしてその野菜やくだものを使った料理を作ったり、体験型の食育ワークショップを開催したり。仕事としてお金をたくさん稼ぐというよりは、ライフワークのひとつとして、子育てしながら無理なくできる範囲で活動を続けていました。ただ、慣れてくるうちにやはり料理家の仕事もきちんとしたいと考えるようになり、ブログでレシピを公開したり、企業にタイアップ広告の飛び込み営業をかけたり、仕事の場をいろいろと広げていきました。
あるとき雑誌にお弁当の記事が載ったところ、当時のかわいらしいデコ弁ブームもあって、お弁当関連の仕事の依頼をいただくように。そこから料理家として雑誌や広告の仕事が増え、書籍を出させてもらうようになりました。
■練習後30分以内に“補食”しないと疲労が回復しない ──「料理を通してプロスポーツ選手を支えることの大切さを痛感した」とおっしゃいましたが、元Jリーガーのご主人の食事管理は大変でしたか。 黄川田さん:大変でしたね。特に私の場合は、結婚当初は本当に料理初心者で、ほとんど自分で料理をしたことがない状態からのスタートでした。もちろんプロサッカー選手を食事で支えるという知識もなかったので、夫や自分の両親に聞きながら手探りで学んでいきました。チームには栄養士さんがいて遠征時の食事などは管理してくれるので、家庭では自分のできる範囲で栄養バランスを考え、楽しく食べられる雰囲気づくりを重視していました。