『虎に翼』ファンの宇垣美里×明治大学村上一博対談「ドラマの核となる憲法14条とは? 今改めて深く知りたい憲法のこと」
日本史上で初めて法曹界に飛び込んだ女性の史実を元に作られた連続テレビ小説『虎に翼』。主人公の寅子が女性で初めての裁判官になる過程を描くだけでなく、その中で感じる矛盾や葛藤、寅子以外の法律を学ぶ女性たちの人生も描き、ファンを増やしている。『虎に翼』好きを公言しているフリーアナウンサー・俳優の宇垣美里さんと、『虎に翼』の法律考証として制作に協力している明治大学法学部教授の村上一博さんの対談を実現。視聴者から見る『虎に翼』と、法律の専門家から見る『虎に翼』とは……。 【写真】『虎に翼』主人公の寅子と仲間たち ※2024年7月9日放送分までのネタバレあり。
これは、今を生きる私たちと地続きの話
――まずは『虎に翼』を観て、二人はどんなところに魅力を感じていますか? 宇垣美里(以下、宇垣) このドラマって過去の話なのに、今に通じるところが多いんです。主人公の寅子が「はて?」と疑問に思うところは、今を生きる私にとっても「はて?」って思うところで、そこがビビッドに刺さります。 その中には、私は「はて?」って思っても指摘できなかったこともあります。それに対して「おかしいことはおかしいじゃない?」という姿勢で「はて?」と言い続ける寅子たちに勇気づけられています。私が今も「はて?」と思うことが物語の中に存在するということは、これは「終わった」話ではなく、現在と地続きのお話なんだなと思えて、それも魅力のひとつになっていると思います。 村上一博(以下、村上) このドラマは「法律エンターテインメント」ですが、我々のような法律の専門家からすると、基本的に法律っていうのは面白いものではないと考えているんです。法律に感情は結びつかないものだし、それをどんな風にドラマにしていくんだろうと当初は思っていて。観ている方の拒絶反応があったらどうしようかと心配に思うこともありました。でも、脚本家の吉田恵里香さんの法律の捉え方、そして演出の仕方によって、すごく面白いものになっていますよね。周りからも面白いという反応が、早い段階から聞けてほっとしました。 また、私の場合は、あまりにも法律の部分が面白く変えられてしまうと、学界で生きていけないので(笑)、専門家として、この展開でこの結論ならば妥当だなという点を探し出していかないといけないわけです。ただ、今のところ法律の専門家の方からの批判もなく、同時にドラマとしてもうまくいっていると思います。そして、女性たちの心を掴んで、共感の輪が広がっているのが大変ありがたいです。 ――宇垣さんは、登場人物の中では、どの役に関心がありますか? 宇垣 女子部の面々からは目が離せませんけれど、その中でも涼子様(華族出身の寅子の同級生)が大好き。あの聡明さや上品さ、言葉遣いの美しさに憧れるのはもちろんのこと、ついつい求められる“いい子”の中に自分を押し込めて我慢してしまう長女らしさ、みたいなところにシンパシーを覚えて、涼子様の言動に「わかる」と思いながら観ていました。 最近の寅子に関しては、感情移入しすぎて辛いところもあります。彼女は目標であった弁護士、裁判官になれた人物なわけで、ある種、周りの人から見れば傲慢に映ったり、傍若無人に見られたりすることもあると思うんです。逆に寅子のそんなところが、物事を推進させる力にもなっていた部分もあるでしょう。 でも、この数週間の寅ちゃんの姿(取材当時)は、自分一人で突っ走っているようなところがあって、「私にもこういうところはあるのかも?」と振り返ったりして、複雑な気持ちで観ています。仕事を頑張りすぎて家族のことが見えていなかったり、優秀な寅子の前で、娘の優未が必要以上に「いい子」であろうとしたりするようなことが起こっているのですが、家庭と仕事との両立の問題に性別って関係ないんだなと思ったりしました。一方で、寅ちゃんが女性であるから、こんなに問題点が浮き彫りになっているのではないかとも……。かつてのドラマで男性が同じことをしていても、「ここまで敏感に気付いていたかしら?」と思うんですよね。 ――村上先生は、脚本家の吉田恵里香さんを含め、スタッフとどのようなやりとりをされているんですか? 村上 どういう裁判をどういうシーンでやればいいかということについて、私が「こういう事件をやったらどうですか?」と提示するのは傲慢なので、「こういう事件がありますよ」と、いくつか文献を示して選んでもらっています。そこから、気持ちの問題をどう入れていくのか、観ている人がどう感じるのかを考えて脚色や演出をするのかといったアレンジの部分は私が関わることではありません。 実は私たちのような法律の専門家と、脚本や演出、そして観る方がどう感じるのかは、ぜんぜん違って。例えば、「女性は無能力者である」という言葉に関してもそうです。 宇垣 「無能力者」は、二話の終わりに寅子が後に夫となる書生の優三さんが通う大学にお弁当を届けたときに出てくる言葉。優三さんが受けていた法学部の授業で、講師とのやりとりの中で男子学生が「婚姻状態にある女性は、無能力者、だからであります」と答えているのを寅ちゃんが聞いてしまって。この言葉は私にとっても衝撃的でした。最近、「無能力者」というセリフが同じように出てくる『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』という映画を観たばかりなので余計に。 村上 「女性が無能力者である」ということについては、女性に財産権や参政権がなく、また法律行為ができないという意味で、明治民法について解説した教科書で使われていた言葉です。法律の専門家は、この「無能力者」という部分に関して、戦後に大きく変わって今はそんな風に言われない良い時代になったんだということは認識しているのですが、その経緯を授業でやってもなかなか伝わらなくて。でも、ドラマになると、観た方が自分自身ですごく感じとってくれるのが印象的でした。 ――「女性は無能力者である」という言葉には、明治民法で定められた「家制度(※1)」も関わってくると思います。今一度、「家制度」について教えてもらえますか? 村上 「家制度」という言葉の中の「家」というのは、建物とか形としての「家」ではなく、血縁関係で繋がっていることを指しています。「先祖代々の血を守る」なんて言うことがありますが、これと同じことです。しかも、戦前では「男系の血統を守る」ことが「家を守る」ことだとされています。だから、ある家に生まれてきた子どもは「男性の家の子ども」ということになります。 ところが『源氏物語』が書かれた平安時代で考えると、その頃は母親が誰であるかが重要でした。これを母系制社会と言います。母系制社会の頃は、女性の元に男性が通ってくるのが主流でしたが、武家社会になると男性が主導の世の中になり、女性が男性の家にお嫁入りをする制度に変わります。 その後、明治に入ると武家の世の中は終わりを迎えますが、武家社会の精神的な部分は続きました。支配層もその方が都合がいいということで、武家社会の制度を続けたいという人の存在があったんです。 そこにヨーロッパの考え方が入ってきて、当時はヨーロッパも男社会で男性に都合の良い民法でした。それは当時の日本社会にぴったりだったので「家制度」が続いてしまったわけです。ヨーロッパは自由な夫婦関係が保護される世の中に変わっていきましたが、日本では「家制度」は廃止されたものの、明治から変わらず「戸籍」に縛られた状態が続いています。 宇垣 『虎に翼』の中でも、女性の代議士の集まりに寅子が参加して苗字についての意見を聞くシーンがあります。そこで代議士の女性たちが「どうして男性は、封建的な家父長制にしがみつきたいのかしら」「古き良きなんて、明治時代から始まった決まりばかりじゃない?」というセリフが出てきますよね。 村上 それは、そのような発言をするように提案しました。明治民法が決まるときに、男性の氏を名乗ることになり、その後、それが日本の伝統文化のように残ってしまったのです(※2)。 (※1)「家制度」とは1898年に施行された明治民法で定められた家族制度。「家」を単位として戸籍を作成し、家長(一番年長の男性)が家族を統率する仕組み。1947年の制度廃止までこの家制度が続いた。 (※2)現在の日本では、結婚すると妻か夫のどちらかの一方の姓しか選択できず、2022年の内閣府男女共同参画局の調査によると、約95%は女性が改姓している。