外国人旅行者が“子供の頃から憧れていた”日本で「感動したこと/残念に感じたこと」
ショッカーO野さんと歩いた新宿
訪日の目的は聖地を巡るばかりではなかった。 特撮番組の関係者にインタビューを行い、ブラジルでは得難い真実の情報を確かめるのも目的だった。ヒベイロさんはジャーナリストではない。それでも訪日前にアポが取れた複数の関係者が、英語の通訳者を介した取材に応じてくれたそうだ。 なかでも2023年大晦日に長時間付き合ってくれたショッカーO野さんには感謝しきれないという。芸名を故石ノ森章太郎さんより直々に授かったショッカーO野さんは司会、構成作家、ラジオパーソナリティーあるは特撮番組のスーツアクターなど様々な仕事をこなすマルチタレントだ。 「場所は新宿で」とのショッカーO野さんからのリクエストに応えてレンタルした会議室で、ヒベイロさんはブラジルで出版された特撮ヒーロー辞典を開きながらインタビューした。話が盛り上がるにつれ、二人はときに特撮ヒーローに疎い通訳者を頼らず、専門用語を交わすことで理解し合えたそうだ。 「ところで今晩の年越しの予定は?」 3時間の取材の後にショッカーO野さんにたずねられると、単身、渋谷スクランブル交差点で過ごす予定だと素直に打ち明けた。 「だったら僕と一緒に『慎ちゃんねるのゆく年くる年』に行かない?」と誘われた。それは「仮面ライダーAGITO」「重甲ビーファイター」「救急戦隊ゴーゴーファイブ」などの主題歌を歌った歌手の石原慎一さんの年越しミニコンサートだった。 石原慎一さんはブラジルのアニメフェスで歌った経験があり、ブラジルの特撮ファンの熱量を知っている。「一人だったらいいよ」とショッカーO野さんの直電でヒベイロさんの招待券が用意された。 新宿は横浜に劣らぬ特撮ドラマのロケ地だそうだ。自身が司会を務めるミニコンサートまでの6時間、ショッカーO野さんはヒベイロさんに近辺のロケ地を案内し、夕食を共にしながら特撮裏話を伝授してくれたそうだ。
夢のような一夜、ライブ中につい口ずさむと…
ライブイベントは北新宿のカフェ兼ライブハウス「ドルチェ・ヴィータ」で行われた。地下フロアのアットホームな雰囲気の会場だ。 石原慎一さんとゲストの共演での演目はもちろん大半がアニメと特撮の歌。披露された歌のほとんどをヒベイロさんは知っていたそうだ。憧れの日本での降って湧いたような年越しミニライブで、大好きな楽曲を歌手本人が歌うのを聞いて感極まり、ヒベイロさんも自然と歌声を合わせると、隣の女性客が自らの唇に人差し指を縦に当てて、静かに聞き入ることを促されたという。 ブラジルのライブでは好きな曲が演奏されたら自由に歌うのが普通なのに……と文化の違いを感じたそうだ。 ともあれ存分に楽しんだミニライブの後、石原慎一さんといくつか言葉を交わすことができたのは、恒例で行われている花園神社への初詣の際だった。 石原さんから自身の過去のブラジル・サンパウロ公演を見てもらえたかとたずねられると、見たかったが住んでいる街が遠いので……と正直に語った。同じブラジルといえどもヒベイロさんの暮らすフォルタレーザとサンパウロとでは距離が3,100kmと、東京・マニラ間より離れているのだ。