阪神淡路大震災を伝え続ける俳優・妹尾和夫 ── 被災者と向き合い20年
お叱りの声が「妹尾さん、来るの遅いがな~」に
録画したテープは、すぐにバイク便で大阪の同局へ。場合によっては、その日収録したものが、即流れるといったケースもあったり、最低でも翌日に早くその模様が流された。すると、この「街を歩く」というコーナーが次第に広まっていき、被災者の間でも広がっていった。 それを決定的に裏付けた出来事があった。宝塚市清荒神を訪れた時のこと。「きょうも怒られるんかなあ」と思いつつも取材を始めた時、街の女性が「ちょっと妹尾さん、来るの遅いがな~」「神戸だけちゃうねん、待っとったんやで~」と話してきた。「僕はこの瞬間に涙が出そうになりました。皆さん見てくれてたんです」。この「遅いがな~」「待っとったんやで~」という声を聞いた瞬間、取材から1か月以上たって、初めて肩の力がフッと抜けたという。 以来、行く先々で同じように待っていてくれる人たちがいた。被災者への取材交渉も自ら行うなどした。当時は胆石を患っていたが「途中で投げ出すわけにはいかない」と、主治医と相談しながら取材を続けた。そして、同番組が終了するまでの約1年間、被災地での取材をつとめあげた。
12年間震災ラジオ番組担当、今も多くの被災者と交流
これらの経験を買われ、翌1996年には同局のラジオ番組「ネットワーク1・17」のパーソナリティに抜擢。同番組は家族や家を失った被災者や地震の専門家による防災の話、被災地で活動するボランティアの話を聞くといった「3本柱」で成り立っている番組だ。そして時には取材にも出かけた。 「この番組は、本当にプロデューサーが頑張ってくれていた。彼女のがんばりが、被災者や先生方の心を動かし『ネットワーク1.17やったら出てもええよ』と言ってくれる方々が多かったのがその結果です」と当時を振り返る。そして、この番組がきっかけで被災者との交流の輪もかなり広がった。20年たったいまでも、町内の交流会などに呼ばれたり、自分の劇団の公演へ親しくなった人らを招待するなどしているという。 「今年はこの番組で知り合った関西学院大学の教授から防災シンポジウムのパネリストとして呼ばれています。これ、もう2年前から『20年の時は来てほしい』と予約していただいてたんです」と話す。 「震災の時、自分の携わっている仕事って一体なんなんだろう? と思うことがあった。けど、自分の役者以外の仕事のしゃべるスタンスが変わった気がしますね」。そして、震災を伝えることに携わった以上は、ずっと伝えていくという。 「これが私の責任や思ってますから」。そう話す、妹尾の決意は固い。 ■妹尾和夫(せのお・かずお)。1951年11月17日生まれ。1985年に升毅、牧野エミらと演劇ユニット「売名行為」を発足。1993年には「劇団パロディフライ」を旗揚げ。昨年12月もシアター・ドラマシティで毎年恒例の公演を行った。2010年から2014年まではABC朝日放送テレビ「せのぶら」に出演し関西を中心とした各地の街をめぐり、老若男女問わず人気を得る。現在は、ABC朝日放送ラジオ「とことん全力投球!!妹尾和夫です」やKBS京都ラジオの「妹尾和夫のパラダイスKyoto」などに出演中。16日にはNHK総合テレビ「阪神・淡路大震災20年 今だから伝えたい~あの日を胸に“生きる”」(関西ローカル)にも出演する。