「J3レベルではない」逸材ピッチで号泣…“右利きの名波浩”が悔恨、昇格叶わず悲劇の幕引き【コラム】
「『日本代表になる』って大口を叩いているんで、違いを見せないと」
「試合が終わったあとに感じたのは、もっと自分がやれればなっていうところですね。チームに対して、味方に対してこう思うってことは1ミリも出てこなかった。フットボールプレーヤーとして自分が納得するまでやらなきゃいけないし、今日の90分のプレーは全然納得いくものじゃなかった。自分はずっと『日本代表になる』って大口を叩いているんで、こういう舞台で圧倒的な違いを見せる選手になっていかないといけない。本当に実力不足だなと思います」 背番号10は神妙な面持ちで言葉を絞り出した。2022年に流通経済大から加入して以来、彼は松本山雅のキーマンと位置づけられてきた。当時の名波浩監督(現日本代表コーチ)は大卒ルーキーだった彼に攻撃のタクトを任せ、32試合に出場した。ゴール数こそ2点にとどまったものの、ある意味「右利きの名波浩」といったイメージで彼は中盤で自在に動き、数多くのチャンスを作った。 だからこそ、霜田監督が就任した2023年からはリーダー格と位置づけられたのだろう。2023年は副キャプテン、そして今季はキャプテンに就任。背番号も「10」番となり、名実ともに松本山雅の看板となった。今夏にガンバ大阪からレンタルで赴いたMF中村仁郎も「山雅に来て一番うまい選手だと思ったのが菊井君」と絶賛し「J3でプレーするレベルの選手ではない」という評価も多くの関係者から聞かれた。 安永玲央の父・聡太郎(解説者)も今季、松本山雅が苦しんでいた時期にSNSで「チームで一番点を取れるのが菊井君だから、彼にもっとゴールを取らせる形を作らなければいけない」と発信していたほど。だからこそ、彼は自らの力でJ2昇格への道を切り拓かなければならなかったのだ。 「僕はフットボールっていうのは『実力9割、運1割』だと思っていて、その運が今日はなかったと思います」。本人は“富山の悲劇”のショックを全身で表現していたが、ここで足を止めるわけにはいかない。母親同士がいとこの親戚・守田英正(スポルティング)にも「ヒデ君に追いつく」とストレートに言ったというから、高い領域を目指して一目散に駆け上がっていくしかない。となれば、来季も松本山雅に残留する可能性は低いが、仮に残留した時には突き抜けた存在になるしかない。 いずれにしても、才能ある男・菊井は松本山雅不遇の時代を思い切り味わうことになった。改めて近年を振り返ってみると、反町康治監督(現清水GM)が率いたラストイヤーの2019年はJ1にいた。8年間の反町監督時代は2度のJ1昇格を達成。J2でもほとんど上位にいて、常に昇格争いをするという、いい時代だった。