40代からは夢中になる「推し」を見つけるよりも「師匠」を探せ
熱中できるものが見つからない
学生時代や若い頃、何かに熱中したり、夢中になったりしていましたか。サッカーや野球といったスポーツだったり、音楽や映画鑑賞だったり。勉強に熱中していた、あるいは恋愛に夢中だったなんて人もいるかもしれません。いずれにせよ、誰しも多かれ少なかれ、何かに夢中になっていた頃があったかと思います。 【関連画像】大愚 和尚、佛心宗大叢山福厳寺住職 しかし中年ともいわれる年齢になり、「最近は何事も、あの頃のようには熱中できなくなってきたなあ」と感じている人も多いのではないでしょうか。その理由は一体何なのでしょう。果たして、加齢によるものだけなのでしょうか。 人間は年齢を重ねるほど、様々な情報や刺激に慣れていく性質を持っています。何事にも熱中できなくなったと感じるのは、刺激に慣れてしまったということ。何事もだんだんと新鮮味が欠けてきますから、もっと面白いもの、もっとインパクトのあるものを欲するようになります。 慣れるといえば、感受性もそうです。私のYouTubeチャンネル「一問一答」では、恋愛の悩み相談も多く寄せられます。特に若い年代の方たちは、感受性がとても豊か。だからこそ苦しみ、思い悩む人が多いように感じます。その感受性も年齢とともに弱くなっていきます。それは「人生経験を積んだ」からでもあるので、歳を重ねることが悪いわけではありません。 テクノロジーの進化も物事に熱中できなくなる要因の一つだと言えます。世の中が便利になるとともに、私たちの生活は一変しました。例えば今ではオンラインでの会議や商談も当たり前になり、どんなに遠く離れた場所でも画面一つでつながることができるようになりました。一昔前は手土産を持って新幹線や飛行機に乗り、相手の元へ行く時代でした。現代は、一つひとつの物事に対し、手間や労力が掛からなくなり、効率は格段によくなりました。しかし一方で、そうやって効率よくこなす作業は、退屈に感じてしまうものです。 私の元に寄せられる悩みの中には、「誰もが知っているような企業に就職し、それなりのポジションに就き、妻も子供もいて持ち家もある」という、はたから見れば羨むような生活をしていながら、「この退屈な日常から抜け出したい」といったお便りが寄せられることがあります。何一つ不自由はない。しかし、熱中できるものもなく退屈な生活から抜け出したい――。2500年ほど前に、同じような境遇から全てを捨てて修行生活を選んだ人が仏陀です。 いつの時代も、人間は「慣れ」が起きるもの。では、どうしたらいいのでしょうか。