40代からは夢中になる「推し」を見つけるよりも「師匠」を探せ
自分の外側にあるものではなく、内側に目を向けよ
巷では「推し活」などと言って、何かに深く熱中することを推奨する風潮が強くなってきたように感じます。もちろん、誰かを好きになって応援するのは、生活に張り合いができて良いでしょう。おいしいと評判のお店に行ったり、新しいテーマパークなどに行ったりするのもそうです。しかしこれらはすべて、「自分の外側にある」ものを欲しているということ。もっとおいしいものを、もっと刺激のあるものを……と追い求めてはキリがなくなるのです。 仏教では「知足」という言葉があります。知足とは、無いことを「もっと、もっと」と追い求めるのではなく、今自分がすでに持っているもので満足するということ。 すでに持っているものとはなんでしょうか。よく考えてみてください。そう、「自分」です。自分自身の体や心を深く観察し、成長させる。知れば知るほど、見たことのない自分を発見するのは、実に面白いことです。もしあなたが、「最近は何事にも熱中できなくなってきたな」と感じているならば、無理に熱中できるものを自分の外側に探さなくてもいいのです。その代わり、自分の内側に目を向ける「大人の学び」をぜひ始めてみてほしいと思います。
大人の学びは「何を」学ぶかではなく、「誰に」学ぶか
「我逢人(がほうじん)」という禅の言葉があります。曹洞宗を開いた道元禅師が、当時仏教が盛んだった中国に苦労して渡り、やっとの思いで本物の師匠と運命的な出会いを果たしたときに発した「我れ、人と逢うなり」という言葉からきています。 そう、自分の内側に目を向け成長させる「大人の学び」は、それを教えてくれる人との出会いが全てです。出会う場はなんでもいい。お寺のお坊さんでもいいし、ヨガやスポーツなどの習い事でも、本でもいいのです。ただ、そこでヨガのポーズを習得するだけでは単なる習い事に過ぎませんし、本を読んで知識を得るだけでは単なる読書です。もう一つその先の、人間の深みを教えてくれる「師匠」とも言える人に出会うのが、大人の学びだと私は思うのです。 40代からの大人の学びに必要なのは、「何を」学ぶかではなく、「誰に」学ぶかです。その人が何を発しているか、どう生きているかを見ていけば、「この人から学びたい」と思える出会いにつながるはずです。 学びというと、つい私たちは褒めてくれたり、優しくしてくれたりする人を求めてしまいがちです。今は教える側もトラブルになるのを避けてなのか、当たり障りなく、うわべだけを褒めることが多いように思います。しかし、それが何の成長につながるというのでしょう。 褒めるのは、とても簡単なことです。一方、反感を買うかもしれないけれど、きちんと指摘をするのは案外労力がいるもの。自分を見てくれる人から厳しく言われたとき、そこで「キツイことを言われるから、もう通わない」などとヘソを曲げるのではなく、「なぜこの人は自分に厳しく言うのだろう?」と考え、自分を内省していくのです。言われたからには何か理由があるのだろうと、そこから発展し自分を見つめ直すきっかけにもなります。それは、上っ面だけで褒められていては絶対に気づけないことです。 「我逢人」の「人」は「本物」を指します。その出会いで、あなたの人生が大きく変貌するかもしれません。テクノロジーが進化した今は、いつでもどこでもパソコン一つあれば済ませられる時代です。しかし「本物」に巡り合うのは、やはり実際に自分の足を使って会うことが大事。推しや熱中できるものを探すのではなく、ぜひ本物の「師匠」を探す旅に出てみてください。 (取材・文=尾崎悠子)
大愚 和尚