革命の代わりに選挙がある…菅孝行・泉房穂が衆院選の後に考えたこと
民衆の声は武力より強い
菅ロシア革命が暴力でやったことを、選挙でやるという戦略に近い感じもしてくる。 泉20代のときに革命をあきらめて、選挙に転換したのは事実ですね。ただ根っこのところは、私の中では両方アリです。方法はいろいろあってしかるべきです。あまり言ったら危ないけど、歴史を紐解いたって、血が流れたこともあるのであって、それはきれい事だけではないと思いますよ。 菅暴力を使わないで済むんだったら、それに越したことはない。問題は本当に使わないで済むかどうかを、個別の場所で考えるだけだろうなと思います。暴力を使ったらダメな場合はいっぱいあるし、使うともっとダメになることもある。非暴力の手法の知恵を絞らないといけない。 逆にガザなんて、当面、知恵の絞りようがない。イスラエル政府と軍の眼の吊り上がり方は尋常ではない。アメリカがそれを支え続けている。投石という、なけなしの「武力」で逆らうしかなくて、インティファーダ(被占領パレスチナでの民衆蜂起)で世界の世論喚起に成功しても、せいぜいオスロ合意にしかならない。ハマスの武力で逆らっても100対1でしょう。 そういうところと比べると、いわゆる先進国の民主主義国家は、もうちょっと上手にやれば、いろいろな改革ができます。 まずは政権交代ができる政治にすればいい、という考えの人もいます。しないよりはした方がいいですが、形式的な政権交代が可能かどうかだけではテーマが矮小だと思います。大切なのは、政策が真に民衆本意であるか、改革以前に逆戻りさせない構造変革がなされたかであり、重要なのは、その上での政権交代です。そうでないとただの繰り返しになってしまう。逆戻りさせない変革を、議会制度でやれるんだったら、議会制度も捨てたものではない。 泉結局最終決定権、最後に勝負してどっちが勝つかが大きくて、最後は武力を持ってるヤツが強いと思うんですよ。でも武力より強いもう一つの切り口は、民衆の声と思いです。熱烈な民衆世論の支持があると、かなりの部分はやれる。しかも日本の場合には選挙がある。つまり武力ではないけれども明石でできたのは、市民、有権者が私の味方だから、私に歯向かうと、その市議会議員は次の選挙で落ちるリスクがあるから従うのであって、鉄砲を突きつけていない代わりに、民衆が支えているわけです。 菅民衆の声が武力より強いというのは希望ではある。 泉例えば、こんなことがあった。明石市の優生保護法被害者支援条例は、2回通らなかったんですよ。優生保護は、自分の弟が障害者だったんで、私が最もこだわってきた問題です。なぜ通らなかったかというと、市議会が嫌がらせで反対したんです。でも、明石市中の障害者団体が連合体を組んで市議会にプレッシャーをかけたわけですよ。「泉に反対して条例を通さないのか。来年の選挙で落とすぞ」と言った結果、市議会は賛成に転じて、全国初の優生保護法被害者支援条例が通ったんです。でも、市議会からすると「敵に回せない」と思ったから賛成したのであって、そこはきれい事じゃない。力関係はゼロじゃないと思うんですよね。