プロミュージシャンから天才時計師へと転身! グランドセイコーの時計デザイナーと英国人ジャーナリストの出会い
英国人ジャーナリストが、ジュネーブ時計グランプリ受賞歴もある時計デザイナー(そして元プロミュージシャン)の川内谷卓磨(かわうちや たくま)氏とのひとときを振り返る。 【写真集】グランドセイコーの最新限定モデルは美しいライトグリーンダイヤルが魅力 私(※註:本稿筆者の英国人ジャーナリスト、ロビン・スウィシンクバンク氏)が銀座で川内谷と対面したのは、2024年の秋とは思えないほど暑い日のことだった。セイコーハウスはこの歴史ある日本の首都東京にあって最も象徴的な建造物のひとつであり、ここに日本屈指の時計メーカーが本社を構えている。 幾人かのジャーナリストたちの待ち受ける時計師のアトリエに、あのエルヴィスやトム・ぺティが愛用したアコースティックギターの名器、ギブソン・ダヴ(Dove)を抱えた川内谷が、ローリング・ストーンズの「スタート・ミー・アップ」をかき鳴らしながら姿を現す。まるでボクシングのリングへの入場シーンか、あるいはここはミック・ジャガーのベッドルームかといった雰囲気だ。私たちはすぐに、川内谷が常識で測ることのできる人物でないことを知る。 現在46歳の川内谷のキャリアは、プロのミュージシャンとして幕を開けた。会社勤めはしたくないと考え、ジャズ、ロック、ポップなど、さまざまなバンドのツアーで生計を立てていた。しかし、思うところあって30歳のときにミュージシャン人生から足を洗い、それから時計師を目指した。 2010年にスイスの時計技術者育成プログラムWOSTEP(Watchmakers Of Switzerland Training and Educational Program)でディプロマ(卒業証明書)を取得し、そのままセイコーのR&D(研究開発)部門に入り機械式ムーブメントの開発に携わるようになった。
Kodoの圧倒的な完成度
入社の2年後、川内谷の第二のキャリアを決定づける転機が訪れた。グランドセイコーのイメージを一変させる、あるアイデアをひらめいたのである。 それから10年の開発期間を経た2022年、ジュネーブで開催される世界の時計見本市「Watches & Wonders(ウォッチ&ワンダーズ)」で発表した「Kodo コンスタントフォース・トゥールビヨン SLGT003」は、2つの複雑機構「コンスタントフォース」と「トゥールビヨン」を世界で初めて同軸に一体化して組み合わせたことで、スイスの有名メゾンを打ち負かすほどの衝撃を与えた。 それぞれ高度な技術を要する2つの複雑機構を連動させることに成功したKodoは、世界で最も精密な構造を持つ機械式腕時計の1本となったのだ。平均日差+5~-3秒(静的精度)の精度で、パワーリザーブの約3分の2に相当する50時間を測定する(通常であればパワーリザーブの減少とともに精度は低下するが、コンスタントフォース機構によってこの課題を克服している)。 時計に詳しくない人はご存じないかもしれない。独立機関であるスイス公認クロノメーター検定協会の認定規格を受けるには、最低でも日差+6~-4秒の精度が求められる。 その精度が高まるほど、さらに誤差を減らすのは難しくなる。例えば、ハンディキャップがひと桁台のゴルフプレーヤーにとって1打の重みが増すことや、100メートルを10秒未満で走るスプリンターにとって10分の1秒を縮めることがいよいよ困難になるのと同じ話だ。 最大8秒という日差のクロノメーターレベルを維持しながら50時間以上もその精度で作動し続けるとなれば、機械式時計としてはまさに記念碑的な完成度である。 2022年のジュネーブ時計グランプリの審査員は、このKodoに栄誉あるクロノメトリー賞を授与した。私もその年の審査員の一人だったが、それ以外の年であってもKodoの受賞は変わらなかっただろう。