岩崎リズ「母・冨士眞奈美から、高校で不登校になった時に渡された水筒の中身は…。『普通じゃいけない』といつも言われて」<冨士眞奈美×岩崎リズ>
◆不登校の娘のために母が取った行動は 冨士 今でこそ生意気な口ばかり叩かれているけれど、37歳であなたを産んだときは本当に嬉しかった。当時にしては、かなりの高齢出産だったわね。陣痛が来て自分で車を運転して病院に行ったら、血圧が低すぎて帝王切開することになって。6時43分にあなたが生まれたのを、今でもはっきり覚えているわ。 リズ それで毎年、誕生日の6時43分に電話をかけてくるんだよね。 冨士 おっぱいも2歳6ヵ月になるまであげていたし、5歳くらいまでは、あなたがトイレで「出たよ~」って言うたびに飛んでいって、お尻を拭いてあげていた。これが本当の尻ぬぐいってね(笑)。俳優の仕事も10年間休んで、娘にベッタリの生活だったわ。 リズ でも、世間の常識からはちょっとズレてたよね。 冨士 あら、そうかしら。 リズ 「普通じゃいけない」と、いつも言われてた。「ほかの人と同じじゃなきゃ」って考えるような、退屈な人間になってはいけないって。それで私は、幼稚園の健康診断の日に大変な目にあったんだから。 冨士 どういうこと? リズ 服を脱いだとき、ほかの子はみんな無地の白いパンツをはいていたの。でも私だけ、蛍光イエローの生地にヤシの木の絵が描いてある小さなスキャンティだった。おかげで、「わ~、おまえのパンツ、エッチ!」って、みんなに言われちゃって。 冨士 いいじゃない。可愛いパンツだったんだから。 リズ そう、そのときも私が「恥ずかしかった」って言ったら、「どうして、ほかの子と同じパンツをはきたがるの?」って。 まあ、両親の知り合いが夜な夜な集まって、朝まで酒盛りをしているような変な家だったしね。朝起きると居間で酔っぱらいのお客さんたちが倒れていて、私は部屋に散らばっている柿の種を朝ご飯代わりに口に入れてから学校に行ってた。
冨士 でも、二日酔いでもあなたのお弁当は毎朝必ず作っていたわよ。好きなほうを選べるように、お弁当を2種類用意していたときもあったし。 リズ そういえば、中学で私がいじめにあったときの対応も意外だった。私は自分の力で解決しようとして、先生に話したら「いじめられるお前にも原因があるんじゃないか」って理不尽なことを言われて。 冨士 それは先生がおかしいわよ。いじめはいけない。 リズ ママは絶対に弱い者いじめをしないよね。 冨士 あなたにその話を聞いたときはショックで、原稿用紙12枚の手紙を書いて直談判しに行った。そうしたら先生がビックリして、いじめっ子たち全員を叱ってくれたのよ。 リズ あのときは、「ママに言わなきゃよかったかも」と少し思った(笑)。高校で私が不登校になったときも、「これを持って行けば大丈夫」と水筒を持たされて。我慢して学校に行って休み時間に飲んでみたら、なんとウーロンハイ(笑)。「友達を作る魔法の飲み物よ」って。 冨士 リラックスできるし、クラスの子と回し飲みすれば、一緒に楽しくなって仲良くなれると思ったから。あれ、見つかったら先生に怒られていたわね。 リズ 当たり前でしょう。私が怒ったら、今度は毎晩のように新宿2丁目のゲイバーに連れて行ったよね。当時ママが好きだった尾崎豊の曲を、オネエたちとカラオケで熱唱したりして。 冨士 「もっと、大らかになりなさいよ」と伝えたかったの。 リズ たしかに、あのときにオネエたちに出会えたのはすごくよかったと思う。世間の常識なんて知ったこっちゃないっていう気楽な空間で、もっと自由に生きていいんだとわかったから。それから高校に楽しく通えるようになったのも、2丁目に連れて行ってもらえたおかげ。感謝しています。 冨士 母娘で夜遊びしたかいがあったわね。 (構成=内山靖子、撮影=川上尚見,曾根雄司)
冨士眞奈美,岩崎リズ
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