うそをつくと選手には分かっちゃう。「優勝請負人」工藤公康さん プロ野球のレジェンド「名球会」連続インタビュー(33)
▽早く野球をうまくなるために少年時代から求めていたもの 勉強好きな理由ですか? 話せば長くなるんです。父親が厳しかったので、野球をやれと言われてやったんですけど、子どもの頃は嫌いだったんですよ。父親に逆らえないから、やるなら短期間で早くうまくなる方法を考えました。プロ選手の投球フォームの解説を見たりとかしながら、いいところをまねして。早く覚えて早くうまくなって、その空いた時間を他のことに利用したいというのがあったんです。他の人が1年かかることを1カ月で、1カ月かかるところを1週間で、1週間のことは1日で。その効率を子どもの頃から求めていたっていうのはあります。 (練習について)何にしてもやってみるんですよ。やらないと良いか悪いかも分からないので。やってみて、どうしても自分の感覚で良くならなかったら、捨てちゃうよりは、それも(知識として)一つの引き出しに入れて、また違うことをやってみる。技術系のことに関して聞いたことは全部引き出しに入れて、しまっておくんですよ。いろんな引き出しができればできるほど、自分の練習のバリエーション、技術を習得するためのバリエーションが増えるんです。
ストイックになったのは結婚を機に変われたっていうところもあります。正直、結婚するまでは自分のやりたいように、年齢でいうと29、30歳ぐらいまでは野球やりながら遊ぼうと。成績を出して、この球界で自分がやれるって思えてからですけどね。結婚したら真剣に、また野球をやろうと。僕の育った家庭環境って、寂しいとかひもじいとかっていうのがありました。そういう思いを自分の子どもにさせないために、そのぐらいは稼げるような人間になっていこうと考えていたんです。だから自分自身も変われました。当時は肝臓が悪く、お医者さんに「このまま飲み続けて遊び続けてたら死ぬよ」って言われたというのもありました。いろんなものが重なって変われたんじゃないかなと思います。 ▽お金は少なくてもいいから3年間のメジャー契約を取って 西武での13年間で110勝ちょっと。ダイエー(現ソフトバンク)で150勝目で、ジャイアンツで最終的に200勝でした。30歳を過ぎてベテランになっていくと球が遅くなる、技巧派になるみたいな話を、昔は当たり前のようにみんなが言っていたと思うんです。僕は自分のトレーニングを考えた時に、いろんな人から「人間の体ってそんなに弱くないよ」と教えてもらって理解できました。(投球スタイルを)変える必要はないのも分かりました。変えないために何をしたらいいのかというと、やっぱりオフからキャンプぐらいまでは厳しいトレーニングを自分に課しました。シーズンに入ったら中6日で回らなきゃいけないんで、その6日の中でしっかりと調整したり休んだりしていけば1年間ちゃんと持つと。そういう体をオフの間につくっていきました。オフの休みは1週間とか10日ぐらいしかなくて、あとはずっとトレーニング。シーズン中に投げている時よりも苦しい練習をしておくと、シーズン中が楽なんですよ。それがルーティン化していき、最終的には現役を長くできたっていうところです。