橋本大輝が涙 連覇ならず6位も「団体金でお腹いっぱい」 ケガ乗り越え完遂に充実感「僕は幸せ」 後輩岡の金を笑顔で祝福
「パリ五輪・体操男子個人総合・決勝」(31日、ベルシー・アリーナ) 東京五輪2冠で、史上5人目の連覇に挑んだ橋本大輝(セントラルスポーツ)は6種目合計84・598点で6位に終わり、連覇はならなかった。2大会連続のメダルもならなかった。20歳の岡慎之助(徳洲会)が86・832点で金メダルを獲得した。 【写真】あん馬でまた悪夢の落下 ショック隠せず思わず頭を抱える橋本 ディフェンディング王者が苦しんだ。2種目目のあん馬で痛恨の落下を喫すると、3種目目のつり輪で技の認定がされず、橋本は難度を示すDスコアが5・7の構成が5・3に。13・400点に終わり、前半3種目を終えて、40・999点で18位で折り返した。 跳馬では14・766点、平行棒は14・433点で8位まで追い上げて、最終種目の鉄棒を迎えたが、表彰台には届かなかった。最後の鉄棒の演技を終えると、ふっと息を吐き、天を仰いだ後、前を向いた。その後、後輩の岡が金メダルを獲得すると、満面の笑顔で祝福。新王者の誕生を喜んだが、その後、床に顔をついて号泣した。 試合後のインタビューでは「もう新しい歴史をみれて僕は幸せです」と、岡の戴冠を祝福。「連覇の意識はあまりなくて、ケガしてからここまで戻って、演技することができたので。もう僕はこの舞台で演技できて、本当にここまで僕を応援してくださった方々、サポートしてくれた方々に悔しいですけど、堂々とやりきれた気持ちでいっぱいです。もう正直、この3年間しんどかったですし、それを乗り越えて戦えたのも応援のおかげ。期待に応えることができなかったので、次の目標に向けて自分を見直して準備していきたい」と、涙を流しながら前を向いた。 これで橋本のパリ五輪は幕を下ろした。悲願の団体金メダルを獲得し「なんか団体の金メダルだけでもうお腹いっぱいなので、悔しい気持ちより幸せすぎて涙が出ちゃって。団体金メダルをエースとして、エースとしてかはわからないですけど、みんなのために戦えたので今大会よかった」と振り返り、岡と2人の五輪王者がいる日本の今後へ「国内から競争レベル高くなって日本の体操が強くなる。彼の努力とあきらめなかった強さに僕も感動した。のびのび一緒に戦えるように、僕が自分を鍛えなおしてきたい」と、見据えた。 初出場の前回東京五輪は個人総合と鉄棒で金メダルした。2度目の舞台で目標に掲げたのは、前回「銀」だった団体総合を含む3冠達成だったが、春に右手人さし指のじん帯を損傷。パリ入り後は左肩に痛みを発表し、予選で苦しみ、鉄棒はまさかの予選落ちだった。それでも団体総合ではあん馬で落下するミスがあったものの、主将の萱らの「諦めるな!絶対いける!」というゲキで復活。鉄棒ではほぼ完璧な演技で、大逆転金メダルに貢献した。 ライバルとの死闘を制した。中国の張博恒とは互いに敬意を払い、高め合うライバル。東京五輪直後の北九州で開催された21年世界選手権では東京五輪には出場していなかった張が橋本と0・017点差で金メダルを獲得した。そして22年世界選手権では橋本がリベンジを果たし、張が2位。昨年橋本が2連覇を果たした世界選手権では中国はトップ選手が不在。自国開催のアジア大会に出場した張は、世界選手権の橋本を上回る89・299点で金メダルを獲得していた。 団体決勝では悲劇に襲われた中国。それでも最後の鉄棒に臨む張の演技の前に、橋本は場内の観客に静かにするようにジェスチャーし、敬意を払うと、演技を終えた張に「加油!(中国語で頑張れ!) 博恒」と声をかけ、世界の感動を呼んでいた。 座右の銘は「努力に勝る天才なし」。東京五輪後も慢心することなく、鉄棒で新たにF難度の離れ技「リューキン」を組み込むなどDスコア(演技価値点)の向上に注力してきた。日本体操協会の強化コーチを務める五輪2連覇の内村航平さんも「世界一の練習をしてきた」と太鼓判を押していた。 ◆橋本大輝(はしもと・だいき)2001年8月7日、千葉県成田市出身。千葉・市船橋高3年の19年世界選手権に初出場し、団体総合で銅メダル。21年は全日本選手権、NHK杯で初優勝。19歳で迎えた東京五輪は個人総合で史上最年少王者に輝き、種目別鉄棒と合わせて2冠を達成した。22年世界選手権では個人総合の金を含む、4つのメダルを獲得した。デイリースポーツ制定「2021年度ホワイトベア・スポーツ賞」受賞。167センチ、58キロ。