《サッカー五輪代表から消えた天才》悲劇は小野伸二や小倉隆史の大ケガだけでなく、少なすぎ18人枠で…名パサーや守護神「逸材の落選後」
パリ五輪に向けたサッカーU-23日本代表の人選に注目が集まるが……これまでの五輪ではどんなドラマがあり、落選した天才・逸材の「五輪後のサッカー人生」はどうなったか。1996年アトランタ五輪から2021年東京五輪まで、それぞれの世代を振り返ろう。(全3回の第1回/第2回、第3回も配信中) 【写真】「えっ、この天才も五輪落選したの!?」小野・小倉・長谷部だけじゃなく…悪夢を味わった名手たちを見る。黒髪ロン毛時代の本田やギラギラしてた前園など「五輪代表時代のレアな若き日」も
アトランタで涙したのはケガの小倉だけでない
【1996年:アトランタ五輪】 〈アトランタ五輪代表メンバー〉 GK:川口能活、下田崇 DF:白井博幸、鈴木秀人、田中誠、上村健一、松田直樹 MF:廣長優志、服部年宏、前園真聖、伊東輝悦、遠藤彰弘、中田英寿、秋葉忠宏、路木龍次 FW:城彰二、森岡茂、松原良香 バックアップメンバー:GK土肥洋一、久藤清一、松波正信、安永聡太郎 〈代表漏れした主な選手〉 中西永輔、小倉隆史、平野孝、齊藤俊秀、楢崎正剛、三浦淳宏、森岡隆三 アジア最終予選準決勝でサウジアラビアを下し、実に28年ぶりの五輪出場を決めたアトランタ世代。本大会でも初戦でスター軍団ブラジルを破った。第2戦では後に大会覇者となるナイジェリアに敗れるも、3戦目でハンガリーに逆転勝利。惜しくも得失点差で決勝トーナメント進出を逃したが、ドラマチックな戦いぶりは大きな注目を集めた。 とりわけ脚光を浴びたのは前園真聖だろう。 最終予選を前に大怪我を負ったエースの小倉隆史が離脱。この穴を埋めたのがすでにA代表でも不可欠な戦力となっていたドリブラーだった。不慣れな腕章を腕に巻き、同じくA代表入りしていた城彰二や中田英寿と攻撃陣を牽引。出場権を懸けたサウジ戦で自ら2得点、本大会でも2得点を挙げた。 五輪代表の土台となっていたのは、城に加え、川口能活、服部年宏、伊東輝悦ら1992年アジアユースのメンバーだ。彼らをアジアの3位に導いた西野朗監督は、ここに次の年代の若手を加えてアトランタを目指した。中田や松田直樹ら、“世界を知る”面々である。彼らは、93年に日本で開催されたU-17世界選手権(現U-17W杯)に加え、94年アジアユースで準優勝し、自国開催以外で初めて世界大会出場権を獲得。その95年カタールワールドユース(現U-20W杯)でもベスト8に勝ち上がっていた。
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